8

Monday, August 1

自宅にいるとかしましい蝉の声が聞こえてくる。ベランダの小さな瓶で育てているホテイアオイはなかなか青い花を咲かせない。いつか咲くだろうか。咲かせたいならもっと本格的に栽培するべきなのだろう。

朝から映画を2本。エルヴィン・ライザー編集の『我が闘争』(1960年、スウェーデン)。ヒトラーに限らず歴史を扱ったものは脚色されたドラマや映画よりもこうしたクールなつくりのドキュメンタリーのほうが断然好きだ。しかし早くレニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』を観なければならない。レイ・ミュラー監督が撮ったレニのドキュメンタリーも。2本目は大好きなジャック・ドゥミの『ローラ』(1961年、フランス/イタリア)。いちばん好きなところは踊りのシーン全部と、14歳の誕生日を迎えた少女と遊園地で乗り物に興じる水兵が「やあ」って柵の外にいる仲間の水兵たちに手をあげて挨拶する、その一瞬。

少し前にミキサーをいただいたのでやっと試してみた。じゃがいもの冷製スープをつくった。ミキサーは子どもの頃に祖母や母が使うのをよく見ていたがいつの頃からか祖母も母もあまり使わなくなり、料理をするようになったわたしはなかなかミキサーを購入せず、同じ効用を得るにあたってすりこぎ&すり鉢やマッシャーを使っていたためミキサーのうぃぃーんという音を間近に聴くとなんだか子どもの頃にかえるようだった。

夜、ふたたびジャック・ドゥミの『天使の入江』を鑑賞。カメラがヒロインのジャンヌ・モローの顔をとらえるや一気に遠ざかっていく冒頭のショットは好き嫌いあるようだけど、わたしはとても好きだと思った。

*今日の一枚  Legrand Jazz/Michel Legrand

Thursday, August 4

お弁当、ご飯+昆布+梅干し、卵焼き、鶏肉の赤唐辛子炒め、もやしと小松菜の炒めもの、蒸したにんじんとかぼちゃ、きんぴらごぼう、ミニトマト。

『詩という仕事について』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス、鼓直訳、岩波文庫)読了。11世紀ペルシアの詩人、オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』を詩人のエドワード・フィッツジェラルドが訳したエピソードが出てきて、『ルバイヤート』は作品、作者ともにここ数年興味をもち始めた作品でありいくつか本も出ているため図書館の書棚を探したところ陳舜臣の訳による『ルバイヤート』があり序文に目をとおしたらフィッツジェラルドのエピソードがふたたび出てきたため借りてぱらぱら読んでいた。ちなみにこの序文では戦時中の自らの状況についても語られており胸打たれる。次は小川亮作訳を読む。

夕刻、線路脇のオシロイバナのよい香り。5歳のわたしにもどる。

*今日の一枚 Live At The Fillmore West/Aretha Franklin 

Saturday, August 6

黄金週間以来の中央図書館へ。広尾の街は好き。外国人向けスーパーやサーティーワンアイスクリームがある一角はなんとなく朗らかな雰囲気だし、カフェのオープンスペースの席に座っている赤ちゃんや犬の様子を見るのが楽しい。

有栖川宮記念公園に蝉の声が響きわたっていた。蝉の声と木漏れ日と図書館。ああ、耳をすませば!

お昼、いったん退館して近くでお昼ごはんを食べたあと、EMON PHOTO GALLERYで「尾仲浩二展 Tokyo Candy Box」。尾仲浩二はもっとも好きな写真家のひとりで、いちばん好きだといってもそれは間違いではない。今回の写真展では2001年にワイズ出版から刊行された写真集『Tokyo Candy Box』のオリジナルプリントが展示されており、日本では初公開とのこと。1999年から2001年にかけての東京を切り取った写真群。1年前になかったものがいまはある。3年前にあったものが1年後には消えている。いま目の前にあるものは来年の同じ日同じ時刻に果たしてあるのだろうか。圧倒的なスピートと規模で新規作成され修正され削除され更新されゆく巨大都市の情景に恐ろしさと脱力感をおぼえる。

その後、ふたたび図書館に戻って読書。中央図書館にはときどき街の図書館にないものや雑誌のバックナンバーを読みに行くのだけど、書架で狙い定めた本を探しているうちにあれもこれもと関心のある書物に手がのびてしまい、開館時間内では目標としたものをすべてを読むことはまったくもって不可能。『欧文書体ーその背景と使い方(新デザインガイド)』『欧文書体2 定番書体と演出法(タイポグラフィの基本BOOK)』(ともに小林章、美術出版社)、ほかに『キネマ旬報 2011年7月下旬号』(キネマ旬報社)などを読む。今回は欧文書体について書かれた本を1冊じっくりと読むことを目的としていたけれど、ふと目にとまった『ボヴァリー夫人』(フローベール、姫野カオルコ文、木村タカヒロ絵、角川書店)を読んでみたところすっかり気に入ってしまった。有名な小説を現代的解釈で読ませる大人の絵本といったつくりだが、エロチックで洒落た木村タカヒロによる挿絵も、知的でシニカルなユーモアを孕んだ姫野カオルコの文章も相当な意地の悪さ。文学における意地の悪さというものはなぜこうも作品の格を高めるのだろうか。

Sunday, August 7

銀座のmarimekkoで買いものして昨年買ったmarimekkoのコートを着る季節が早く来ないかなあ、などと考えているうちに一日が終わってしまった。この土日はいつにも増してものすごいスピードで終わってしまうだろうなという予感があたった。じぶんはわりとショートスリーパーぎみであるし、子どもの頃から、もっというなら赤ちゃんの頃から眠ることにあまり執着をもたなかったらしいし(母親談)、いつも眠ることにそれほど魅力を感じないのだけれどそのぶんぼーっとぼんやりする時間がないと本当にやっていけなくてそれで結局とんとんなのではないか。といった、じぶん/眠り/ぼんやりする、という連関についてのあるフレーズをこの前耳にしてこれはまるでじぶんのことをいっているようだ、と思われたためいまそのフレーズの出典を調べているところ。

*今日の一枚  I Love You – Live At The Bimhuis/Benny Sings