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Saturday, June 18

眼が覚めたら窓の外は雨で、最近やけに雨に降られると思ったら梅雨だった。すっかりわすれていた。

うっすらとミストがかっているような大気のなか、本郷の弥生美術館に「藤田ミラノ展 ーヨーロッパに花開いた日本の抒情ー」を観にでかける。藤田ミラノは1950年代から60年代を中心に少女雑誌や中高生向け文芸誌に美しい少女の挿絵を描いた画家として知られ、この展覧会では『女学生の友』や少女小説の表紙の原画やミラノの絵に彩られた付録を観ることができる。顔からこぼれ落ちそうな双眸とつぼみのような唇をそなえた麗しい少女たちの絵に見入る。ただひたすらに綺麗なものを見つめる幸福。ミラノの描くほぼすべての少女たちはやわらかに、しかしきっぱりと口を閉じていて吐息がふっと漏れるような隙がない。でもそれでいてさほど距離を感じないのは、額から下瞼まで何センチ、目尻から口角まで何度、と測れるほどに安定した顔だちのバランスと繊細な色彩のグラデーションのせいだろう。驚くべきは最新作として掲げられたピンクと紫の芭蕉が描かれた作品を見つめたとき、少女たちの顔をのぞきこんだような錯覚をおぼえたことだ。芭蕉の花が一瞬、少女の顔に見えたのである。2階展示室にすすむとある変化に気づく。少女たちが涙をこぼし始めたのだ。謎が解けないまま次の展示棚でピエロに迎えられる。このピエロが謎を解いてくれるかもしれない。藤田ミラノは70年代から居を構えたフランスでも作品を発表し人気を博すのだが、代表作となったのが「恋するピエロ」である。ピエロがヨーロッパで描かれるときには約束事があるという。一、背景は黒で描くこと。二、必ず涙を流していないといけないこと。ミラノは背景を黒と紫のものを制作、売り出したところ爆発的な人気を呼んだのは紫のほうだった。わたしが幼いころ大切にしていたアルバムの表紙に描かれたピエロがそれだった、と知ったのは数日前のことだ。憂いた瞳からこぼれるひとつぶの涙と淡い紫色から目がはなせなかった。知らずに出会っていたということがよくある。

東京メトロに乗って市ヶ谷。東京日仏学院でジャンルー・シーフによるイヴ・サンローランのポートレート展。展示は2階の廊下と中庭で行なわれていた。廊下でイヴ・サンローランの顔をじっと見つめたあと振り返ったら窓の外で枇杷の実が揺れていた。緑滴る中庭にモノクロのポートレイトが映える。レストランのテラス席は閑散としていた。イヴ・サンローランの洋服を着て枇杷をたべたら枇杷の汁がだらだらと指をつたって袖口を汚すだろう。

日仏から歩いて数分のミヅマアートギャラリーで青山悟「芸術家は人生において6本の薔薇を真剣につくらねばならない」。青山悟は工業用ミシンを使って写真とみまがうほどに精緻な刺繍を生み出している作家だが、青山悟について語るとき、作品と作品が展示された空間とを切り離して考えることはできない。青山悟の展示はこれまでに4度観ている。2008年、赤坂サカスを中心に、廃校となった中学校、元料亭、氷川神社など赤坂の街いったいに美術作品を点在させたアートプロジェクト「Akasaka Art Flower 08」で、青山悟の刺繍は元料亭の仄暗い廊下に飾られていた。白糸で縫い取られた馬がひっそりと発光していた。これが出会い。二度目は2010年、馬喰横山のアガタ竹澤ビルgallery αMにて。青山悟の祖父、青山龍水の絵画と対をなすように吊るされた刺繍がゆらゆらとオレンジ色の照明のなかを漂う圧巻の演出に、これはただものではないなと認識したあの瞬間が愛しい。三度目は今年春、上野のVOCA展にて。さて、本日。展示室では脳天を射るような光量の照明がギャラリーの白壁に反射しルーメン・ルクスともに最高潮、の眩さで室内に足を踏み入れたわたしの平衡感覚を簡単に鈍らせ、そして無響室に入った感覚を呼び起こさせた。強烈な光は音を消失させる。目眩をおぼえつつその中に浮かぶ陰影を宿した5本の赤い薔薇の赤や黒や深緑の糸をひとすじひとすじ目でなぞった。最後の1本にはまた別の部屋で出会える。青山悟は「薔薇をつくることを自分の作家活動において二度としない」と宣言したという。

東京メトロに乗って銀座。ギャラリーをいくつか。印象に残ったのはggg(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)での「レイモン・サヴィニャック展」で、有名な牛乳石鹸モンサヴォン、ペリエ、オリヴェッティのポスターのほかに、ロベール・ブレッソンの「ラルジャン」「湖のランスロット」の映画ポスターが観れる。気に入ったのは「チェス」という作品で文字通りチェスを楽しむ人(ただし脚がチェスの駒)が描かれているのだけどその絵のとなりには絵に向き合ってチェスをするポーズをとったサヴィニャックのモノクロ写真が並べられていて、撮影はロベール・ドアノーなのだった。1月に『不完全なレンズで 回想と肖像』(ロベール・ドアノー、堀江敏幸訳、月曜社)を読んだ際にピカソのよく知られたポートレートー食卓に座るピカソの前にパンを置き、あたかもピカソの手のように見せかけている傑作ーがピカソのお茶目かと思いきや実はドアノーの遊び心だったという逸話を知り、ドアノーのひらめきに感服したことを思い出した。

銀河鉄道銀座線に乗って表参道。駅に着くまで『ことばと国家』(田中克彦、岩波新書)を読んでいた。友人のパーティーに招かれて出席。友人のお母さんと話し込み、友人の両親の踊りに心奮わせ、爆音とお酒で視界を震わせ、白ワインをごくごく。熱にうかされ外に出れば雨上がりの夜風に頬を撫でられ、あの素晴らしい空間は約500,000,000平方キロメートルの針の先ほどにも満たないという真実に頭がすっと冷えていく、と思いきやすぐに冷えるものでもなく、帰りの電車では本なんか読んでる場合でしょうか、と読まなかったのだけどそう考えたから読まなかったわけでもなく、いつだって本は読んだっていいでしょうとひとりごちた。

Sunday, June 19

数週間前の細野晴臣のラジオ「デイジーホリデー」で映画「ANA+OTTO アナとオットー」の挿入歌が流れたのだった。しかも細野さんは「アナとオットーDVD化されてたよ」という情報までシェアしてくれたのだった。細野さん! というわけで「ANA+OTTO アナとオットー」(フリオ・メデム、1998年、スペイン)鑑賞。続けて「隣の女」(フランソワ・トリュフォー監督、1981年、フランス)。もう10回以上観てるせいかまったく緊張感のない観方をしてしまった。好きなシーンの直前で寝ちゃったりとか。夜、横浜まで。船上バイキング。帰り道、『ことばと国家』を読了してしまったので『花椿 よむ 6月号』(資生堂)をぱらぱら。写真家の津田直の文章が魅力的でじっくり読んだ。この週末はろくに料理せず。