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Wednesday, April 24

会社で歓迎会という名の飲み会。心の底ではどうでもいいと思っている「社会性なるもの」(阿部謹也に倣うなら、「社会」というより「世間」といったほうがよいかもだけど)を僅かでも保持しておこうとのさもしい心性で参加してみた。しかしながら、予想通りというか、開始十五分くらいでもうぐったり疲れてしまい、早く終わってくれないかなあと残り時間ばかりを気にしてしまう。なんだかんだで三時間くらい拘束される。本が一冊読めるじゃないか! 終盤、隣で幾人かが本の話をしだしたけれど、もちろん口を挟むことなどせず、酩酊風情で目を閉じて、時が過ぎゆくのをじっと待っていた。

企画書だって、報告書だって、簡潔でわかりやすい文章を書くには、やはり読書をしなくちゃねえ、などという話が始まって、会社の飲み会で本の話になるとろくなことがないので、わたしは黙っていた。やっぱり三島由紀夫がいいわ、という声が上がり、でも日本で一番美しい日本語を書くのは司馬遼太郎やと聞いたことがある、と、視野狭窄にもほどがある意見が出たりして、舌が出るほどうんざりだった。おまけに、夏目漱石は漢文的だから和文には合わないけど、漱石いいよね〜、『こころ』なんて心がほのぼのするもん、などという人もいて、耳を疑った。今まで『こころ』は20回以上読んだけど、読めば読むほど暗くて陰惨な小説だという思いを増しこそすれ、一回も「心がほのぼの」したことなんかないし、どんな読み方をしたら「心がほのぼの」するのか、じっくり教えてほしい、と思って熱が出そうだった。
22時半頃散会、無理せず、一次会で帰ればよかった。ipodのイヤホンを耳にねじ込み、ジョー・ヘンリーを聞いて帰る。
『だけど世の中はいつだって美しいんだ 敗北した姿を見ると 最もひどい人生が美しく見えるんだ』
(福田和美「なんでもよくおぼえてる」『ぽかん 01』、p.34)

Thursday, April 25

iPad miniを手に入れてからというもの毎日ニューヨーク・タイムズばかり読んでいる。いちばん最初にiPadで読んだニューヨーク・タイムズの記事が、アップル社の勢いが衰え気味という、たったいま使い始めたばかりの機器を販売している企業の斜陽を伝えるものだったことをここに記しておくけれど、そんなことはさておき、映画評の欄に目をとおしていたら、ジョナス・メカスの新作(“Out-Takes From the Life of a Happy Man.”)に関する記事に遭遇する [1]。新作といってもメカスが撮り貯めてきた過去の映像を編集し直したといった感じのようだが、この記事に出会してシンクロニシティのようなものを感じてしまったのは、ちょうどメカスの著書『どこにもないところからの手紙』(村田郁夫/訳、書肆山田)を読んでいたからで、そこでメカスはニューヨーク・タイムズのことを貶していたのだった。

ついでだが、「ニューヨーク・タイムズ」との論争は、そんなに難しくない。例えば、今朝の一面の見出しにこうあった。「中央アジアでかつて歓迎されたロシア人が今は逃亡」 ああ、これが「ニューヨーク・タイムズ」! 相変わらず愚かな連中だ。ロシア人が期待されてこれらの土地にやって来、歓迎されたなんて、いまだに考えている!(p.134)

Friday, April 26

夜、会社帰り渋谷に寄り道。ソ連の映画監督ジガ・ヴェルトフの作品『カメラを持った男』(1929年)を見るために宮益坂をのぼってイメージフォーラムに向かう。無声映画を劇場で見るなんていつ以来のことだろう。じっと映像を凝視する69分。焼鳥と麦酒で夕餉を済ませてから、帰宅。

Saturday, April 27

ロンドンとパリと東京を特集した『装苑』6月号(文化出版局)を読了した朝は、新宿に出かける準備をする。損保ジャパン東郷青児美術館で「オディロン・ルドン 夢の起源」展を鑑賞。色彩豊かな油彩もいいけれど、白黒の版画のほうがやっぱり好みかなあ、と三菱一号館美術館でのルドン展(「ルドンとその周辺 夢見る世紀末」)のときとおなじ感想を抱く。

小田急ハルクの叙々苑で焼肉ビビンバを注文して、お腹を満たしたあと、新宿ニコンサロンで「吉原かおり写真展 サヨナラと香辛料」「和田悟志写真展 すべてそこにある」を、写真家本人の解説とともに鑑賞。
コクーンタワーのブックファーストを冷やかしてから新宿三丁目のcoto cafeでしばし休憩し、初めて訪れる(おおいに道に迷った)フォトグラファーズギャラリーで「北島敬三 USSR 1991 / A.D. 1991」を、2009年東京都写真美術館での展覧会の記憶を辿りながら、見る。

夜は自宅シネマ。一体どこの誰が借りるんだろうとの疑念が払拭できない、相米慎二監督の『雪の断章 -情熱-』のメイキング映像(本編なし)なるものがツタヤにあったので借りてみた。当然のごとく媒体はVHS。相米慎二の厳しいダメだしの模様が延々とつづく作品であることをちょっと期待したが、まあそんなことはなくて、主演の斉藤由貴にフォーカスしたアイドルファン向けの、しかし相当よくわからない構成なので斜に構えれば「ある意味」楽しめるかもしれない内容の30分。「北大は受けるんだ!」の別シーンが存在することがわかったのは、収穫。

Sunday, April 28

『一冊の本』5月号(朝日新聞出版)を読了した朝は、上野に出かける準備をする。東京藝術大学大学美術館で「FENDI UN ART AUTRE」展。藝大の美術館でなぜFENDI? と思ったが、素晴らしい展示で、ファッションに興味がある人はもちろん、ない人も楽しめる内容(と、紋切り型の褒め言葉を使いたいところだが、恐らくはファッションに興味がない人がこの展示を見てもおもしろくないだろう)。FENDIのこれまでのコレクションを辿りながらのファー(毛皮)利用の変遷史といった趣で、FENDIというブランドにはそれほど惹かれずにきたのだけれど、さくっと見終えるつもりがずいぶんと長居してしまう。上野公園のpark side cafeで昼ごはん。森のガーデンサンドと赤ワインを注文。

新宿に移動し、コニカミノルタプラザで木村伊兵衛写真賞受賞作品展(受賞者は百々新と菊地智子)。

新宿パークタワーで上映されるジョナス・メカスの三時間に及ぶ映画日記『ウォールデン』(1969年)がはじまるのが午後4時15分、その前に文化学院服飾博物館での展示を見ればちょうどいい感じ、なんと華麗なスケジューリングだろうかと自画自賛していたところ、文化学院服飾博物館が日曜休館。あらま。仕方がないのでパークタワーに直行して、コンランショップのカフェで珈琲とケーキを注文し、iPad miniでエコノミスト誌を読みながら時間をつぶす。

ところで、ここ最近で見たジョナス・メカスの映画には共通点があって、東京都写真美術館で『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』、シアター・イメージフォーラム3階で『リトアニアへの旅の追憶』『ロスト・ロスト・ロスト』、そして本日のパークタワーでの『ウォールデン』。内容について、ではない。どの場所も椅子が硬いのだ。硬い椅子でばかりメカスを見ている。イメージフォーラム3階とパークタワーは会議室にありそうな椅子だし。腰痛の心配をしながらのメカス体験である。映画は素晴らしかった。帰る途中、新宿西口の三国一で肉うどんと出し巻き卵と鰹のたたきと麦酒で、硬い椅子での三時間鑑賞の疲れを癒す。

  1. Luminous Time Capsule, Bobbing Alongside the Present []