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Monday, December 24

クリスマス商戦でごった返すデパ地下で買ってきた鶏肉、キッシュ、サラダを頬張りつつ赤ワインを仰いでいた正午すぎ。暖房を効かせた部屋でだらだらとすごしながら、食糧一式とともに買ってきた『HUgE』(講談社)と『TRANSIT』(講談社)をパラパラめくる。書店特集の『HUgE』、掲載されているのは、ポートランド、ブルックリン、シンガポール、日本各地の本屋で、とりわけポートランドの巨大な書店Powell’s Booksには是非ともいつかは訪れたいところ。北欧特集の『TRANSIT』を買ったのはフィンランド旅行を考えるための景気づけとして。夜まで終始だらだらしながら、安野モヨコの『オチビサン』(朝日新聞出版)を読んだり、洋雑誌『KINFOLK』をめくったりしているうちに、ワインの空瓶を横目に降誕祭前夜は更けてゆく。

Tuesday, December 25

ウディ・アレンの作品の多くは、私が好きになる映画の条件のひとつを満たしている。それは90分で終わるということ。昔のハリウッド映画が素晴らしいのも、60年代のフランス映画が素晴らしいのも、それはなにより90分前後でさくっと幕が閉じるからであり、90分で終わるのが良作の指標なのだといささかの暴論を口にしたくなるほど、90分すぎあたりでエンドロールが流れだす映画をこよなく愛している。『ミッドナイト・イン・パリ』の上映時間は94分。条件はクリアしている。申し分ない。もうそれだけでいい。ちなみに内容も小気味よい佳作であったこともつけ加えておこう。

Friday, December 28

仕事納めの日に有給休暇を取る会社員生活。

夜、黒胡椒、オリーブオイル、白ワインビネガーで焼いた黒毛和牛と、つけ合わせの小松菜とパプリカの炒めものを口に運びながら聴いていたのは、録音しておいた沢木耕太郎によるクリスマス特番のラジオ。ロバート・キャパがスペイン内戦に従軍して撮影した「崩れ落ちる兵士」をめぐっての真贋論争について、『文藝春秋』に「キャパの十字架」と題して寄せた原稿の話をするものだから、現地取材のこぼれ話でも喋りだすのかと思いきや、キャパが所有していたのと同じ型のライカを手に入れたくてYahoo!オークションでぽちりと入札し、Yahoo!オークションって侮れませんねって、ずいぶんとまた聴く者をぽかーんとさせるこぼれ話が披瀝される。

いつ買ったのやら記憶の不確かな洋書、Robert Capa, Slightly Out of Focusを本棚から抜き出して、戦争写真家なんていう堅苦しい肩書きを飄々と飛び越える特異なキャラクターをキャパはもっていたことを確認する。愛されキャラだったのだな、キャパは。たとえ「崩れ落ちる兵士」がやらせだったとしても写真家としての経歴に致命傷を与えるまでには至らないのは、どうにも憎めない奴という彼の性分のおかげかもしれない。やらせだった! とジャーナリズムが書き立てようと深刻な論争をひき起してしまうような雰囲気は微塵もないし。そういったことも含めて、Slightly Out of Focusを「ちょっとピンぼけ」と訳した翻訳の抜群のセンスにあらためて唸る。

キャパ関連の本でいえば『ロバート・キャパ最期の日』(横木安良夫/著、東京書籍)をおもしろく読んだ記憶が甦るのだが、いま手元になくて、もうすぐ横浜美術館ではじまる「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展の予習として再読しておくべきか。

Saturday, December 29

正月休みに向けての食材を買い漁ろうと商店やらスーパーやらを梯子し、大きなマリメッコのトートバッグの紐がひきちぎれるのではないかと不安に駆られながら近所をぐるぐる。

横浪修っぽくないけれど撮影者を確認すれば横浪修だった表紙の『装苑』2月号(文化出版局)をひらく。

Sunday, December 30

お昼前、日本を代表する雨男との邂逅のため新宿アルタ前で待ち合わせ。外はもちろん雨模様。歌舞伎町のタイ料理屋での食事とベローチェでの喫茶を梯子。夕方山手線で渋谷に移動したら雨脚が強くなっている。正月休みに観るために渋谷蔦屋でDVD11本とVHS3本を借りたのだが、読まなければならない本が数十冊も溜まっている状況下においての暴挙に出た。帰り道はいよいよ土砂降りで、傘をさしてもコートが濡れる。

たらこと水菜を和えたパスタ、赤ワインの夕食ののち、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」を読む。一行一行を丁寧に読み込み、段落が終わるごとにその場で即興的に浮かんだコメントを差し挟んでゆく精読作業もだんだんと佳境に入ってゆく。

届いていた『一冊の本』(朝日新聞出版)をひらき、もう「時評」なんてものは金井美恵子と橋本治がいればじゅうぶん事足りるのではないかとの感想を抱えながら就寝。

Monday, December 31

刊行を知らせる告知文を目にしたときからその本の存在は気になっていた。白水社のホームページを確認すると、つぎのような瞠目すべき記述が掲載されている。

「ゾンビの突発的発生は必ず起こる!」その日にどう備えるべきか? 国際政治学の世界的権威で、ゾンビ研究学会顧問のドレズナー先生が、対応策を分かりやすく提示。

なんだこりゃ、というわけで大晦日の午前中に読んでいたのは『ゾンビ襲来 国際政治理論で、その日に備える』(ダニエル・ドレズナー/著、谷口功一、山田高敬/訳)。リアリズム、リベラリズム、ネオコンサバティブ、構成主義、国内政治と官僚政治といった国際政治理論の枠組をつぎつぎと示しながらゾンビ襲来の対応策をさまざまな角度から検討している。国際関係論を語りながらも、主役はあくまでゾンビ。

附されたやたらと充実した内容の訳者による「ゾンビ研究事始」を読むと、ドレズナー先生のblogとtwitterの更新頻度は尋常でなく、とりわけtwitterではフォローするとタイムラインがドレズナー先生で埋め尽くされるらしい。さっそく@dandreznerを確認すると、この人暇なのか? ってほどツイートしていた。ところでゾンビとは関係ないけど、訳者(谷口功一)の記すつぎのくだりはちょっと聞き捨てならなくて、

ゾンビ初体験は、ともかくとして、その後、私は東京に出て来て浪人したのだが、浪人の分際で実によく映画を観た。駿台五号館から、お隣のアテネ・フランセまで、せっせと映画を観に通ったものだ。その後、大学に入ると、この映画熱はさらに亢進し、何を間違ったのか、駒場の時には蓮實重彦ゼミに顔を出したりして、鼻持ちならないシネフィルを気取っていたのは、もちろん今や、黒歴史である。

だそうです。

今年の買いもの納めとして花屋でシンビジュームと赤いバラ。ご飯を炊き、豚ひき肉とほうれん草を炒め、ネギと水菜の味噌汁の昼食をつくりあげてから、午後はふたたび読書三昧へ。死者が墓場から甦って生者を貪り喰うゾンビの本が今年の読み納めでは納まるものも納まらない不安に駆られ、ちょうど松浦寿輝と平野啓一郎がNHKFMで喋っているのを聴いたので、岩波人文書セレクションとして装い新たに上梓された松浦寿輝の書物『平面論 一八八〇年代西欧』(岩波書店)を手に取る。この本の刊行から早くも20年近くの歳月が流れたと今回追記された跋文で著者が感慨に浸っているけれど、私が本書を読んだのは大学一年生のときなので、この本を読んだときから早くも15年近くの歳月が流れたことになると、こちらも勝手に感慨に浸る。

つづけて、いきおい、『平面論』で予告されていた『表象と倒錯 エティエンヌ=ジュール・マレー』(筑摩書房)まで再読してしまい、これを最初に読んだのはたしか大学4年生の頃に図書館でだったと思うが、最後は時間論をめぐって大森荘蔵批判まで飛び出す西欧近代における「表象」と「イメージ」の問題を探究した本書は、すっかり忘れていたけれどあとがきでつぎのような回想が語られていたのだった。

もう十年も昔のことになるのが信じられないが、あのよく晴れた美しい午後、蓮實重彦氏と羽根木公園を散歩していた折、新しい雑誌を始めるから何か連載しないかと誘ってくださる言葉に、とりあえずマレーという名前を自信なく呟いてみると、「それがいい」と打てば響くように応じてくださったことを今改めて感謝とともに思い出す。

とあって、羽根木公園に散歩ルートももちろんあるけど、あそこにはたしか荒々しい感じの子ども向け遊具が存在したと記憶する。蓮實重彦と松浦寿輝が滑り台とかで遊びながら相談している姿を勝手に想像をしておもしろがっていたら、しかし「川の光日記」掲載の記事 [1]を読むとその可能性もまったくのゼロとは言い切れないのではなかろうかと幾許かの懸念を抱かずにはいられない。

ついでに『鳥の計画』(思潮社)も併読。装幀を飾る鳥の写真はもちろん、エティエンヌ=ジュール・マレー。出典の明記はないけれど、『表象と倒錯』に差し挟まれた図版と照らし合わせれば、マレーが1887年頃に撮影した白いアヒルの飛行だとわかります。

夕食は、蕎麦。年の瀬、カマンベールチーズと赤ワインをお供に、アンリ・カルティエ=ブレッソンとアウグスト・ザンダーの写真集をめくりながら新年が訪れるのを待っていた。

  1. 人間にとって成熟とは何か
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