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Thursday, October 4

『装苑』(文化出版局)や『図書』(岩波書店)や『みすず』(みすず書房)や『ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50』(福田里香/著、太田出版)などをどどっと読了するなど。
夜、白米、豆腐と葱の味噌汁、ひじきの煮物、冷奴、とんかつ、キャベツ、麦酒。ごはん、味噌汁、キャベツのおかわりはできません。

Saturday, October 6

六時半に東京駅から出発する新幹線に乗って岡山を目指さなければならないので、三連休の初日は朝早くにめざめた。指定席の座席に身をおちつけ、まるでいつ発車したのか悟られまいとしているかのようにすうっと動きだす新幹線のいつもながらの出発を確認しつつ、東京駅構内で購入したサンドイッチを頬張り、通路を往復する売子から買った珈琲を飲んだあとは、旅のお供としてもってきた新潮文庫版の内田百閒「阿房列車」(『第一阿房列車』と『第二阿房列車』)を読みはじめる。百閒の本を選択したのはさして意図はなく、鉄道の旅といえば百閒だろうという短絡的との指摘を受けかねない安易な選書だったのだが、「姫路を出れば、次の停車駅は岡山である。ちっとも帰らないけれど、郷里はなつかしい」とあるのを読んだところで、内田百閒が今回の旅の目的地である岡山の出身だったことにいまさらながら気づいて、著者紹介を見るとたしかに岡山市に酒造家の一人息子として生まれたとある。東京で借金を繰り返す老人というイメージしかなかったので、岡山出身の文学者だという事実が頭から抜けていた。ところで

汽車の中では一等が一番いい。私は五十になった時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。そうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。しかしどっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌いである。

と書く百閒の論を踏まえて現代の新幹線にあてはめてみたならば、さしづめグリーン車が一等で指定席が二等で自由席が三等となるだろうことを思うと、いま指定席に座っている私はひどく百閒的精神に反する旅をしている気にならなくもない。

九時五〇分岡山着。駅近くのホテルに荷物を預けて山陽本線で倉敷に向かう。倉敷でめぐったのは、大橋家住宅、有隣荘、大原美術館、エル・グレコ、児島虎次郎記念館、倉敷アイビースクエア、蟲文庫。有隣荘は年数回、大原美術館主催の特別展会場として公開される、というのはあとで知った知識で、今回ろくに下調べせず訪れたら運よく一般公開の時期に遭遇したらしく、辰野登恵子の絵画作品とともに大原孫三郎の別邸の内部を見てまわることができた。昼食は浜吉でままかり定食を食し、蟲文庫では『日夏耿之介詩集』(思潮社)を買う。

日暮れ前岡山に戻り、ホテルでチェックインを済ませて後楽園近くのcafe moyauで夕食。店主が収集した蔵書がならぶ本棚を眺めながら、じぶんももっている同じ本を逐一紙にメモしていたら収集がつかなくなって、本の背表紙すべてをバシバシ写真に記録しまくるというたいへん怪しい客になる。

Sunday, October 7

インターネットで検索した時刻表の結果に従うならば、七時四十九分の出発を逃すとつぎが十五時十五分発になるという山手線の列車到着ペースに馴れきった身からすると衝撃的な時間配分が提示されている宇野線に乗って岡山から宇野駅を目指す。本日の目的地は直島。駅に到着してそそくさとフェリー乗り場に向かおうとすると、「いしいひさいち展覧会」のポスターを発見する。いしいひさいちは岡山県玉野市出身だった。会場の開館時間は午前十時から午後四時までで、直島の旅の計画をすべて放棄すれば観覧も可能だがさすがにそこまでの勇気をもちあわせてはいないので、会場の建物の入口まで行って、ほほう、これがいしいひさいち展覧会の会場か、と確認するにとどめる。

フェリーに乗って直島へ。直島訪問は事前にじぶんでスケジュールを練るのを放棄し、ベネッセアートサイト直島のホームページに掲載されている「岡山方面から日帰りで直島を訪れるコース [1]」に盲目的に追従することにしたのだが、四国汽船で宇野港から宮浦港に着くまではよかったものの、三連休中日のしかも晴天の行楽日和とあって島は人で溢れかえっており、磯崎新があんまり評価しなかったことでおなじみの地中美術館 [2]は入場制限がかかっていて、十一時半ごろに来たら入れてやるという券を頂戴するに至る。やむを得ずベネッセハウスミュージアムを先に訪れて現代美術の作品を賞玩してから地中美術館に。館内に入っても混雑はつづき、モネの睡蓮を見るのもジェームズ・タレルのオープン・スカイを見るのもウォルター・デ・マリアの球体を見るのも行列で「巡礼」感がいよいよ高まるのだが、日頃からラーメン屋の行列ですら理解不能を公言している者としては並んでばかりの美術館体験にいささか疲弊する。

大人気の地中美術館よりも、つぎに訪れた李禹煥美術館の瀟洒な佇まいのほうがずっと好みで、李禹煥の作品展示もよく、こちらも設計は安藤忠雄だけれどなにより行列しないところがいい。

先にふれた「日帰りで直島を訪れるコース」では昼食は日本料理や「一扇」でと優雅な案内が記されているのだが、そんな時間はないので昼食は抜いて、売店で買った土産物のドーナツを頬張りつつ、草間彌生の南瓜を目指してあちらこちらに点在する屋外作品を見てまわりながら海岸沿いを歩く。桟橋の端にぽつんとある草間彌生の南瓜も人気で写真を撮るのに行列ができている。 並んでいたら後ろにいた子供が親にむかって「みんなかぼちゃの写真なんて撮ってどうするの?」という正論を述べていたのが印象ぶかい。バスに乗って宮島達男や杉本博司や須田悦弘の家プロジェクトをめぐっている途中、カフェで麦酒を飲んで小休憩していたら突然の雨。傘をもっていなかったので大竹伸朗の「はいしゃ」は断念し、バスを待つ。港に向かっている途中に雨は止み、帰りのフェリーに乗り込むまえに大竹伸朗の銭湯の外観をじっくり眺めてから帰還。宇野港に着いたのはいしいひさいち展覧会はもうとっくに終わっている時間。

夜、倉敷の高田屋で焼き鳥と麦酒。

Monday, October 8

岡山観光の最終日。午前中、岡山県立美術館で「自由になれるとき 現代美術はこんなにおもしろい!」を鑑賞。国立新美術館での具体展以降、ここ最近立て続けに吉原治良や白髪一雄の作品を見ている気がしてならない。後楽園に向かう途中にふたたびcafe moyauで腹ごしらえをしてから、今回のあまりにわかりやすい観光地めぐりの旅程を噛みしめつつ、青空のなか秋の緑が映える後楽園を散策した。帰りにCoMAというカフェに立ち寄り、窓際の席で岡山の大通りを眺めながら珈琲とチーズケーキ。

さて、内田百閒は『阿房列車』のなかで、旅程が決まっているのであれば前もって切符を買っておくほうが安全でしょうという駅係員の助言を完全に無視して「乗る時に買う」方針を貫くのであるが、切符が売り切れの事態を前にしてつぎのように言い放つ。

何が何でも是が非でも、満員でも売り切れでも、乗っている人を降ろしても構わないから、是非今日、そう思った時間に立ちたい。

前日の夜にみどりの窓口で帰りの新幹線の切符を買おうとしたら指定席がほとんど満席で、どこかあいている席がないかと係員に訊いたら家に着くのが夜十一時すぎくらいになってしまうものしか残っていない。明日は会社だ。乗っている人を降ろしても構わないから夕暮れどきあたりに出発したい気もちなのだが、そうなるとグリーン車に乗るしかない。というわけで帰りはグリーン。ベネッセコーポーレションが福武書店だったころに刊行した『アポリネール傑作短篇集』(窪田般彌/訳、福武文庫)を読みながら。帰りはグリーンという無駄なところに金を費やすのが百閒的精神と共振しているように思うが、しかしながら百閒はこう書いていた。「帰りは帰ると云う用事があるのだから、三等で沢山であり、無駄遣いは避けなければならない」。帰り道を豪勢にしては駄目らしい。

  1. 岡山方面から日帰りで直島を訪れるコース []
  2. REALTOKYO | Column | 浅田彰のドタバタ日記 | 第3回:2008年7月25日 []