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Tuesday, August 14

今年のお盆休みを漢字一文字で表すなら「懶(ものぐさ)」が相応しい。冷房の効いた部屋で、眠って、食べて、飲んで、また眠る。ひとはどこまで自堕落な生活が可能かに挑んだような数日間ではあったが、食事と睡眠の合間をぬって床に積みあがった本を消化する。ここ最近読んだ本は、以下のとおり。

『本の音』(堀江敏幸/著、中公文庫)
『建築のエロティシズム 世紀転換期のヴィーンにおける装飾の運命』(田中純/著、平凡社新書)
『ロラン・バルト 中国旅行ノート』(桑田光平/訳、ちくま学芸文庫)
『考える皮膚 触覚文化論』(港千尋/著、青土社)
『陰影論 デザインの背後について』(戸田ツトム/著、青土社)
『夜は暗くてはいけないか 暗さの文化論』(乾正雄/著、朝日選書)
『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎/著、中公文庫)
『葉書でドナルド・エヴァンズに』(平出隆/著、作品社)
『ブロディーの報告書』(J.L.ボルヘス/著、鼓直/訳、岩波文庫)
『欧州のエネルギーシフト』(脇阪紀行/著、岩波新書)

他人から見たらまったく意味不明に映るラインナップかもしれないが、読んでいる本人としては一応の筋道は通っている。「筋道」とは、図書館への返却期日が近づいている順番のだけの話だが。『本の音』『建築のエロティシズム』『陰影論』『ブロディーの報告書』『欧州のエネルギーシフト』は、去年から今年にかけて出版された新刊という扱いとして。

『ロラン・バルト 中国旅行ノート』を読んだのは、『みすず』(みすず書房)2012年3月号掲載の、石川美子がロラン・バルトの中国旅行について書いたエッセイをきっかけに、詳しい内容を知りたくなったので。バルトは1974年春に雑誌『テル・ケル』の関係者とともに、文化大革命の只中の中国を旅している。同行したのはフィリップ・ソレルスやジュリア・クリステヴァ、『テル・ケル』誌編集主幹のマルスラン・プレネ、同誌版元(ユイス社)の編集者フランソワ・ヴァールといった面々。中国大使館からの招待で、旅の日程は中国側が決定し、通訳やガイドも一緒に同行するが、旅費だけは参加者本人たちが負担するかたちの旅だったという。石川美子のエッセイでも細かに述べられているとおり、興味深いのは、中国旅行にバルトだけが終始乗り気でないということ。『みすず』には天安門広場を背にして参加者を撮った集合写真が載っているのだが、バルトひとり一歩下がって憮然たる面持ちである。3週間に及んだ中国旅行(北京、南京、洛陽、西安をまわる旅)のあいだ、バルトはずっとうんざりしていたという。ロラン・バルトの反=いい旅夢気分。そんなバルトの退屈旅日記が『ロラン・バルト 中国旅行ノート』。北京に着いたら「睡眠不足、枕が高くて硬すぎる」と書きつけるバルト。出されたお茶について「味の薄い、ぬるい緑茶」と書きつけるバルト。それほど嫌なら行かなければよかったのにと思うが、ともかくバルトにとって中国は肌に合わなかったらしい。ではフランスに帰国する段になりバルトが喜んでいるかというとそうでもなく、エール・フランスについてボロクソに言っていた。「機内に到着するや、エール・フランスの、ということはフランスの愚劣さに出会う:客室乗務員の女性のつんとすました雰囲気:この手荷物は預けなくてはならないのですよ!」「エール・フランスの昼食があまりにひどいので(洋ナシのような小さなパン、脂っこいソースのかかった形の崩れた鶏肉、色鮮やかなサラダ、チョコレート入りでんぷんシュー、シャンパンはもうない!)、わたしは苦情の手紙を今まさに書こうとしている。ヒラヤマ山脈を下に、バスク風の鶏肉! 相変わらずの目眩しだ。」 ロラン・バルトによる、愚痴のディスクール・断章。

ファッションをテーマに掲げた選書だったか、鷲田清一が推薦する書物の一群に『考える皮膚』が含まれているのを目にしたのは学生の頃だから、もうかれこれ十年以上前のことになる。当時もう『考える皮膚』は絶版で、金銭的に多少の無理をしてでも読む本は購入する意気込みでいた時期だから、未読のまま今まで来てしまった。増補版として復刻されているのに遅ればせながら気づいて読んでみたところ(2010年刊)、いままで手に取らずにいたことが悔やまれる素晴らしい内容。美術やテクノロジーの話題を哲学や思想と柔軟に絡めながら論じる手腕は、なぜ長い間文庫化もされずに絶版状態であったのかと訝しく思うほど。初版は1993年なので最新技術のトピックなどで時代の制約もあるが、皮膚というキーワードから探究する文化論的な鮮やかな思考は、まったく古びていない。ファッションについて直接的な言及はほとんどないけれども、衣服文化をラディカル(根源的)に考えるにあたっては良質の文献で、鷲田清一が薦めるのも頷ける。

その港千尋が『芸術回帰論』(平凡社新書)で紹介していた『夜は暗くてはいけないか』は、昨年の震災以後の電力不足が深刻化するなかで示唆に富む本。近現代の都市空間における過剰な明るさに疑義を呈し、暗さの復権を論じる本書の刊行は1998年。エネルギーやエコロジーの問題としてではなく、ヨーロッパとの文化的な比較を通して論を展開しているのが面白い。電力消費は経済的な問題としてのみならず、当然、文化的な視点の導入も必要であるはずだから。勢い、『夜は暗くてはいけないか』でページを割いて取りあげられている『陰翳礼讃』を自宅の本棚から抜き出して再読。傑出した文化論に改めて唸りつつ、谷崎節の気になる部分も存在し、たとえば

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光を吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへと沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。

とあるのは、単に谷崎が羊羹が好きなだけではなかろうかと、ア・ラ・カンパーニュのシュークリームを頬張りながら思う。

Wednesday, August 15

出無精のつづいたお盆休みの最終日は、数日ぶりに外の空気にあたる。東京駅で下車し、会期終了ぎりぎりで駆け込んだのは三菱一号館美術館の「バーン=ジョーンズ展 装飾と象徴」。ラファエル前派やウィリアム・モリスと密接な関係を結んだイギリス人画家の装飾的な絵画の数々をたっぷりと堪能する。19世紀後半のイギリス絵画を眺めていると、ふと夏目漱石の顔が浮かんでくる。漱石が積極的に日本に紹介したラファエル前派の画家たち以外のイギリス美術の知識が覚束ないことを反省して、さしあたりイギリス美術史の流れを俯瞰的に把握しようと『イギリス美術』(高橋裕子/著、岩波新書)を読んだのは随分前のことであるが、爾来「さしあたり」から前進することはなく、怠惰のまま現在に至っていることに気づく。

丸の内ブリックスクエアのアンティーブで、鶏もも肉のコンフィ、白隠元とジャガイモ、グリーンサラダ、パン、スパークリングワインの昼ごはん。

Saturday, August 18

朝8時、がら空きの東海道線に揺られて三島駅を目指す。愛鷹山中腹にある文化複合施設クレマチスの丘へ。まずは IZU PHOTO MUSEUM で「松江泰治展:世界・表層・時間」を見る。これまでの個展やグループ展などを通じて、松江泰治のコンセプトはある程度把握しているので展示内容に新味がやや欠けるものの、写真という二次元の表現を徹底させた作品群にあらためて圧倒される。松江泰治は風景を撮る。しかしそれは、平面の表現において奥行きを感じさせることに苦心する一般の風景写真とはちがっている。松江泰治の写真は、平面の可能性を追究することで逆に魅惑的な広がりの生まれることを見る者に教えてくれる。展覧会タイトルの言葉を借りれば、表層を徹底させることで豊穣な世界を描写する。「動く写真」と評される映像作品も素晴らしく、一見単調にみえる映像は(おそらく少し見ただけで立ち去ってしまう鑑賞者も多いだろう)、しばらく見続けるとどっぷり嵌ってしまう中毒性をもっている。途中、水滴が滴る映像作品を見ていたら、軌を一にして外では大粒の雨が降り出した。

写真展を見終えた頃には雨も止み、ヴァンジ彫刻庭園美術館に足を向けて「庭をめぐれば」展を。庭をテーマに集めた19組の日本の現代作家の作品がならぶなかで、古い書物を見開きにして蝶の模様を切り抜き彩った植原亮輔と渡邉良重の展示が印象に残る。

小さな旅の道中に読んでいたのは、河出書房新社より文庫になった石井好子の本、『女ひとりの巴里ぐらし』と『いつも異国の空の下』。解説はそれぞれ、鹿島茂と長谷部千彩。帰りは新幹線で東京へ。