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Monday, August 6

広島に原爆が投下された日、私は被曝した。……と書くとなにやら不穏な展開を迎えそうだが、会社に行ったら朝から頭痛がひどく、午後は休みをとって脳神経外科に向かう。CT検査で頭部を輪切りにレントゲン撮影し、担当医とともに頭蓋骨のX線写真を見ながら診断の結果を聞く。幸いにして脳出血や脳梗塞やクモ膜下出血といった憂慮すべき病気の予兆はないとのことで、頭痛止めの薬を処方してもらい帰宅する。蒲柳の質なので、これまで様々な病院に通って医者の診察を受けてきたが、来し方を振り返ってみて今回の担当医がいちばん「明晰に病状について説明してくれる人」だった。今後もこの病院を選択肢のひとつに加えようと思うものの、駅から少しばかり歩かなければならないのが難点で、夏の猛暑の時期だと駅から病院まで歩く途中でへばってしまう恐れもなきにしもあらず。

病人は静かに読書でもすべしというわけで、『サスペンス映画史』(三浦哲哉/著、みすず書房)を手にとり活字を追う。著者の略歴を確認すると、専攻は映画研究と表象文化論で、指導教官は松浦寿輝だったとのこと。ヒッチコックについて論じた箇所を面白く読み進めたが、ところで、本書では参考文献のひとつに著名なアメリカの映画研究者デヴィッド・ボードウェルが(妻のクリスティン・トンプソンとジャネット・スタイガーと共に)上梓した『古典的ハリウッド映画』が挙げられている。映画研究というジャンルにまったく明るくない私でも書名だけは知っている『古典的ハリウッド映画』が、いまだに日本語に翻訳されないのはどういう事情だろうか。ハリウッド映画を特集した『現代思想』(青土社)2003年6月臨時増刊号で、北野圭介が吉本光宏を相手につぎのように語っているのを憶えている。

『古典的ハリウッド映画』は、欧米における現代映画研究史において大きな意味合いを持った仕事のひとつであることはいうまでもありませんね。フレドリック・ジェイムソンの論文「哲学問題としてのグローバリゼーション」にもこの話が出てきます。文化が経済化し経済が文化化していく過程として捉えうる「グローバリゼーション」と呼ばれる時代を解析しようとしている論文ですが、ジェイムソンはそこで、この『古典的ハリウッド映画』という著作の出版を「理論的な事件だった」とまで書いています。ですから映画研究上の単なるひとつの方法論という視野を越えた本であるととりあえずいっておくこともできるかと思います。

ここまで言われながら、未邦訳。映画研究の業績などに一般的な需要はないと言ってしまえばそれまでだが。

夜、白米、ネギの味噌汁、牛焼肉と野菜炒め(ピーマン、パプリカ、もやし)、キムチ、烏龍茶。病院帰りの人間の食事にしては、随分としっかりとした献立となってしまった。

Wednesday, August 8

「ART iT」に掲載されたイギリス人ジャーナリストのブログ記事をめぐって、奈良美智がツイッター上で抗議し、一悶着あった騒動を数日遅れで知る。「事実誤認」の情報を元に俎上に載せられた奈良美智が激昂したようだが、事実誤認があれば訂正するのが筋であるのは言うまでもなく、訂正すればよい。とはいえ、ジャーナリストの書いた文章が奈良美智批判として「騒動」を呼ぶほどのものであるか正直あまりピンとこなかった。書かれた美術家本人は不満だろうが、その類いの批評なら世の中にいくらでも転がっている。こんなことを書くのは、奈良美智への批判ということであれば『VOICE』(PHP研究所)2001年10月号で浅田彰がボロクソに書いている記事の印象が強すぎるからで、ここで10年以上前に書かれた評論を懐かしみながら賞味してみよう。

その村上隆が「スーパーフラット」の仲間に加えたひとりが、奈良美智である。吊り目で上目遣いの小憎らしい幼女の絵――そう言えば、「ああ、あれか」と思い出す向きも多いのではないか。たしかに記憶に残りやすい絵柄ではある。本の装丁などによく使われるとしても、驚きはしない。あんな小汚い白痴的な絵を平気で使うというのは、著者や編集者が知性もセンスもないことを告白しているようなもので、その本を手に取る手間が省けるという効用(?)もある。しかし、仮にも公立の美術館が、奈良美智の大展覧会を開き、あの幼女や動物の像で溢れかえるというのは、いかにポピュリズム全盛の時代とはいえ、さすがに限度を超えているのではないか。そこには、森村泰昌や村上隆のような美術史的な戦略や技術的な洗練さえない。ただ幼児的な欲望の稚拙な垂れ流しがあるばかりだ。そして、それを「キモカワイイ」と言って面白がる、ほとんど内面のない若者たちが。モダニズムが終わったと言われて数十年、いまアート・シーンはかくも幼稚なところまで退行してしまったのである。

奈良美智の作品のみならず彼の影響範囲すべてを引っ括めて全否定するという、いま読むと逆に笑ってしまうほど苛烈な言いようである。ちなみに私の記憶に残るなかでは、当時奈良美智の絵を書物の表紙として使っていたものとして、『内破する知』(栗原彬・小森陽一・佐藤学・吉見俊哉/著、東京大学出版会)を挙げておこう。

夜、白胡麻を交ぜた白米、鶏もも肉と小松菜とイエローパプリカのソテー、トマト、レモン、玉ネギとベーコンのオニオンスープ、よく冷えたイタリアの白ワイン。

Saturday, August 11

バスに乗って図書館へ。自宅からいちばん近い図書館はこじんまりとした古い建物で、開架が少なく、書店で選ぶときのような昂揚は期待できないので、本を予約して貸出返却の手続きをする窓口としてしか使っていない。わざわざバスに揺られて大きな図書館に向かうのは、読みたい本を選ぶ愉しみを味わえるからで、なにより新刊書店にはもう並んでいないひと昔前の書物もきちんと本棚に収まってくれている。貧乏性ゆえに、せっかくバスで来たのだからと、期限内にすべて読み切れるとは到底思えない冊数の本を借りて、undoseのバッグに詰め込む。気分は行商。

一度家に戻り、素麺と枝豆と麦酒という真夏の定番トライアングルを平らげてから外出する。銀座線の外苑前で下車し、トキ・アートスペースへ。港千尋と岡部昌生という、第52回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館展示でコミッショナーとアーティストとして組んだ二人による、「色は覚えている」展を見る。岡部昌生のフロッタージュ作品がギャラリーの壁一面に並び、奥には港千尋の写真と映像作品が展示されている。彼らの主題はヒロシマからフクシマへ(戦渦のベイルートも含むが)。ギャラリーを後にし、窓越しに賑わう様子が窺えるミナ ペルホネンを横目に、ワタリウム美術館へ。今回の「歴史の天使」展は多木浩二がかつてワタリウムのために執筆した写真論(「歴史の天使」)を導きの糸に、2012年版として再構成している。「歴史の天使」という題名からわかるように、多木浩二のテキストはヴァルター・ベンヤミンの哲学に想を得ている。ベンヤミンは事実上の遺作となる文章で、パウル・クレーの水彩画《新しい天使》に触発されながら美しい文章を残した。

楽園から吹いてくる強風が天使の翼にはらまれるばかりか、その風のいきおいがはげしいので、かれはもう翼を閉じることができない。強風は天使を、かれが背中を向けている未来のほうへ、不可抗的に運んでいく。その一方ではかれの眼前の廃墟の山が、天に届くばかりに高くなる。ぼくらが進歩と呼ぶものは、この強風なのだ。

ナチスから遁走し、最後はピレネー山脈でモルヒネを呷り自死する思想家の文章が(本当に自殺であったかについては異論もあるが)、美術館2階の眩い陽光の射し込むガラス窓に彩られている。展示は、歴史家が大文字の歴史をつむぐにあたって取りこぼす歴史の裂け目であるとか、単純な時系列の年表では書き表せない歴史の襞であるとかを、掬い取れる表現手段が写真であるという考えをもとに作品が並んでいる。それはベンヤミンの歴史の捉えかたとも共振するだろう。多木浩二は書いている。

「歴史」にも乱丁、落丁がある。出来損ないの書物の中の奇妙な迷路。そんな不思議なエアポケットが写真の場である。

青山通りから表参道までを闊歩。ルイ・ヴィトンのショーウィンドウで、ギョッとするほどの迫真性をもつ草間彌生の蝋人形を眺めてから、エレベーターでギャラリーのある7階に昇り「AWAKENING」展へ。出展はフィンランドのアーティスト3名(ペッカ・ユルハ、ハンナレーナ・ヘイスカ、サミ・サンパッキラ)。都心の風景を一望できるガラス張りの贅沢な光の空間を遮断し、映像+音とインスタレーションは薄暗い闇の中に展示されている。凝った映像作品が複数あったが、ペッカ・ユルハによる、壁に埋め込まれた耳の造型からイヤリングのようにクリスタルがぶら下がる、シンプルと言えばシンプルな作品が印象に残った。

夜、CAFE Z. でアボカドハンバーグ、パプリカシチュー、フライドポテト、チェリービール。