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Tuesday, June 19

どちらが二十一世紀の理想都市だろうか。二〇一二年のオリンピック開催地をめぐり最終的に争ったのはロンドンとパリで、周知のように勝利を収めたのは前者だった。それぞれの候補地では開催そのものに対し賛成と反対、さまざまな議論があったが、その過程で浮き彫りになったのは、都市イメージの大きな違いだった。同じヨーロッパの首都として並べられることが多いが、ロンドンに対してパリが十九世紀都市の輪郭をはっきりと持ち続けていることが明らかになったのだった。ナポレオン三世とオスマン男爵が描いたパリが、二十一世紀になっても大多数の人にとってのイメージであることがはっきりしたのである。(『パリを歩く』、港千尋/著、NTT出版)

歩けばいい。ベルギーでの旅の日程を終えてフランスへ向けて移動する火曜日の朝に問題となったのは、ブリュッセル南駅からタリスに乗ってパリに移動という道程を実現するためにどのような方法でまずは南駅へとたどり着けばよいかということで、タクシーを使えばいいと気軽にそして安易に考えていたものの、いざ当日を迎えてみれば「外国でタクシーを呼ぶ」という状況において考えられる不穏な事態が脳裏を走馬灯のようによぎるに至って、結論として導きだされたのは「歩けばいい」という選択肢だった。もっともホテルから南駅まで大きなスーツケースを引きずるなんて無謀というのは前々日にブリュッセルを歩きまわって理解していたので、まずは使い慣れた北駅をめざし、スーツケースを持ち込んでもそれほど邪魔にはならないだろうベルギー国鉄で南駅まで向かうという手段を採用した。それにしても外国旅行がそれなりに波はあれどある程度の緊張状態から逃れられないのは予想もしないところに陥穽があるからで、やっとのことでタリスの二等車に乗り込んだはいいが大きなスーツケースを置く余地がなくて、座席の下にでも置こうと高を括っていたもののそんな嵩の余裕はなく、やむをえず車両上部の棚に持ちあげて押し込んだのだが、席に座って顔をあげるとスーツケースがちょっとばかりはみ出している。ヨーロッパを南下する鉄道の窓の外を見やれば美しい田園風景がつづいてゆくのだが、上の荷物が落ちてこないか気になって仕方がなく、さいわいにしてタリスはあまり揺れず荷物の落下は杞憂に終わったものの、私の前席に座っていたのはスキンヘッドの恰幅のよい外国人男性で、もしあの人の頭の上に巨大なスーツケースがずどんと落っこちたとしたら客死の覚悟をしなければならなかった。パリに至る、といういくばくかの感慨に浸りつつも旅の移動をめぐる懸案事項が途切れることはなく、ホテルまでたどり着くにはタクシーに乗らなければならなくて、テンポよくつぎつぎと乗客を運んでゆくパリ北駅のタクシー乗り場にならんであてがわれたのは強面の運転手がハンドルを握る車で、どこまでもある程度の緊張感を強いる状況がつづく。さらにはホテルについてひと息つこうとしたら、チェックインにはまだ早い、準備が整っていない、一時間後に来てくれ、それまで食事でもしたらいいよ、大きなスーツケースはフロントの横にでも置いておけば? と従業員に言われ、ようやくたどり着いた不慣れな土地でどうやって時間をつぶせばいいのかと途方に暮れるものの、近くのカフェに入って冷えた白ワインを仰ぐ。ホテルに戻ってチェックインを済ませ、パリの旅程がようやくはじまる。メトロでラマルク・コーランクール駅で下車してサクレ・クール聖堂のほうに足を向けようとしたものの、観光客らしい人混みが皆無で地元の人と思わしき姿がぱらぱらと散見されるだけという、パリを歩きはじめていきなり道を間違えるという不穏な出だしを体験しつつ、スタート地点に戻って観光を開始し、モンマルトルの丘から「ナポレオン三世とオスマン男爵が描いたパリ」を一望して、サクレ・クール聖堂、テルトル広場、アトリエ洗濯船跡などを見物してまわる。駅周辺に戻って『旅』二〇〇九年一月号(新潮社)のパリ特集に掲載されていたジネット・ド・ラ・コート・ダジュールというカフェで早めの夕食。この店が紹介されている日本の『旅』という雑誌はもう休刊になってしまったのですよということを店員の人に伝えるのは語学力不足のためできないが、しかしたとえ語学力があったとしてもちゃんと伝わるのか微妙。あ、そうですか、と言われて終わるだけかもしれない。しかしフランス語で「あ、そうですか」と言われても聞き取れないのでそういう非生産的な会話すら成立しない。たらふく食べたので満腹でカフェをあとにして、ホテルに帰るために降りたサン・ラザール駅構内のショッピングセンターにスターバックスだとか無印良品だとか見知った店舗の存在を確認しつつパリの初日を終える。

Wednesday, June 20

パリの群衆を甘くみてはいけない。東京や上海で慣れているはずの観光客でも、バスやメトロの混雑ぶりには閉口するに違いない。交通機関のキャパシティが七〇年代以降あまり変わっていないのではないかと思えるほど、極端に混むからである。(『パリを歩く』、港千尋/著、NTT出版)

車や騒音に邪魔されず、気ままに歩く楽しみを与えてくれるのは公園である。パリの地図を開くと西にブローニュ、東にヴァンセンヌのふたつの森があり、並木通りを取り囲むようにして、いくつかの公園が点在している。それらの多くは十九世紀に整備されたものだが、どの公園も独自の景観をもっていて、それが公園の性格にもなっている。パリは公園だけを訪れていても飽きないだけの、デザインセンスと造園術をもっていると言っていいだろう。(同上)

モンソー公園、朝のカフェ、凱旋門、ポン・ヌフ、シテ島、ノートルダム大聖堂、満月の夜のカフェ、サン=ルイ島、コンコルド広場、オランジュリー美術館、チュイルリー公園、モードと織物美術館、公園のカフェ、ルーヴル美術館、と後からふりかえればずいぶんと詰め込んだ日程を消化したものであるが、まずはパリのメトロの通勤ラッシュを体験しながら向かった先は、高級住宅街のなかにある樹々の緑の美しいモンソー公園で、ジョギングはセレブのたしなみとばかりに公園にいる人の八割方はジョギングをしている。凱旋門の入口が開くまでサミュエル・ベケット似の店主のカフェでエスプレッソを飲んで時間をつぶし、ザ・観光地の凱旋門を訪れ、終盤息切れを余儀なくされる螺旋階段をのぼってパリの街を一望するも、翌日の筋肉痛が恐ろしい疲労感につつまれる。メトロでポン・ヌフに移動しノートルダム大聖堂のあるシテ島やサン=ルイ島、セーヌ川沿いの道を散策し、途中エリック・ロメールの『満月の夜』の撮影で使われたらしいカフェで昼食。鴨肉もサラダもとてもおいしく店員もいい人で満足したのだけれど、『満月の夜』は映画の半分くらいを「よく寝た」という思い出しかなく肝心のカフェのシーンが茫漠としていて記憶が不確かなので、日本に戻ったら再鑑賞しなければと反省する次第である。コンコルド広場からチュイルリー公園の道のりは、パリの底力を見せつけられた感じでひれ伏すよりほかない場所で、なんだろうかこの街はといささか呆れながらひたすら歩いた。美しい公園のカフェで途中ビールを飲んだりしながら、旅の大きな目的である美術館めぐりを実行する。印象派の傑作が勢揃いのオランジュリー美術館、マーク・ジェイコブスの手掛けたルイ・ヴィトンの企画展をやっていたモードと織物美術館、何が凄いのかよくわからなくなるくらい凄くてさっぱりわからないことになっていたルーヴル美術館などを遊弋。

Thursday, June 21

オルセー美術館には《説教する洗礼者ヨハネ》と頭部のない《歩く人》が展示されている。ロダンのモデルとなったのはイタリア出身の農民だったと伝えられるが、十九世紀パリの人口を急速に膨らませた移民たちは、当時の芸術家たちのモデルを果たしていた。クールベやマネが描いたロマやボヘミアンたちもそうだが、その多くが南や東からやってきた移民たちである。彼らは都市のブルジョワとは異なる身体に、それぞれの土地の記憶を抱えた人々だった。その身ぶりと言葉に彼らは強く惹きつけられたのだった。/駅を改造したオルセー美術館は今日、おそらく駅だった時代を超えるほどの観光客で混雑している。かつて列車が出入りしていた空間を歩く人々のほとんどは、インターナショナル・ブランドのウォーキング・シューズを履いている。二十一世紀の歩く人々は、《歩く人》をどのような気持ちで見ているのだろうか。(『パリを歩く』、港千尋/著、NTT出版)

観光客、少なくとも日本人観光客をさっぱり見かけないオステルリッツ駅で下車した理由は、ゼーバルトの小説『アウステルリッツ』の内容に導かれてのことだが、それにしても今回の旅行は『アウステルリッツ』にやたらと執着するという素っ頓狂な文学紀行となっているのはさておき、オステルリッツでは再開発で建てられたらしい真新しい建築物のなかでバレンシアガとコム・デ・ギャルソンの展示を遊覧。オウステルリッツというまったく観光然としてないパリのはずれから、オルセー美術館という見事なまでに観光然とした場所に移動する。美術館内の絢爛豪華な内装のレストランで食事をしてから絵画鑑賞にくりだし、相変わらずのパリの底力を見せつける展示にへとへとになりながらオルセーをあとにする。メトロでランビュトー駅まで。パリに到着した初日にメトロの通路で宣伝のポスターを見かけて思わず驚歎の声が漏れたゲルハルト・リヒターの展覧会が催されているポンピドゥー・センターに向かう。今回の旅で訪れた美術館のうちもっとも嬉しかったのはゲルハルト・リヒターの展示かもしれない。しかしこれ、日本でもやりそうだ。十時間以上飛行機に乗って訪れた苦労を考えると悔しいので、もしも日本で似たような展覧会が模様される場合は是非、川村記念美術館あたりの都内在住者にはいささか移動に苦労を強いる場所で実施していただきたい。企画展と常設展を堪能し、常設展ではとりわけイヴ・クラインとフランシス・ベーコンの作品の前で恍惚の境地にいたる。ところで、今回訪問したパリの三大美術館のうち、ルーブルとポンピドゥーのふたつでエスカレーターの一部が停止しており、日本であればお詫びの案内のひとつも貼られるところだろうがそんなものは一切なく、しかも修理する気配すらまったくない様子にとても「フランスの精神」を感じた。夏至の夜、外はずっと明るい。