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Monday, January 9

成人の日。新成人に向ける餞の言葉は、特になし。祝日の昼間は『夜の人々』(ニコラス・レイ監督、1948年、アメリカ)を鑑賞し、夕方近所の商店街にでかけて食料品と日用品の買いもの。夕餉はぶりとかんぱちの海鮮丼と小松菜の味噌汁。夜、ダンボール箱に格納されたビールが届く。

Tuesday, January 10

『精神医学から臨床哲学へ』(木村敏/著、ミネルヴァ書房)を読んで以降、ミネルヴァ書房のシリーズ「自伝」をろくにチェックしていなかったのだが当然のことながらいくつかはもう刊行済で、選んだのは『情報を読む力、学問する心』(長尾真/著、ミネルヴァ書房)。夕食は醤油ラーメン、ベーコンと小松菜とコーンともやしと人参とメンマと白胡麻をのせて。夜、『足もとのおしゃれとケア』(COMODO編集部/編、技術評論社)を読む。副題に「靴えらび・足の悩み・手入れのいろは」とある女性向けの靴の本だが、版元が意想外。

Wednesday, January 11

『被災地を歩きながら考えたこと』(五十嵐太郎/著、みすず書房)を読了。去年の震災後に伊東豊雄、山本理顕、隈研吾、妹島和世、内藤廣の五人の建築家が立ち上げた「帰心の会」にふれながら、「彼らも壊滅した街の風景を前にまだとまどい、模索していた。一方で、世界的な建築家の空間構想力が国家からまったく求められていない事実にあらためて唖然とする。もっとも建築家の側にも責任がないわけではない。いざというときに声がかからないのは、黒川紀章のような例外をのぞき一九七〇年代以降、建築家が都市への積極的な提案をやめていたことに起因している。震災が起きてから、声を大にしてもすぐには届きにくい。」(p.34)と論じているのが印象ぶかいのだが、いま森美術館で確認できるメタボリズムの建築家たちによる壮大な都市構想のようなものを、おなじレベルで現代の日本においてできるとはとても思えないし、要求するとしたらいささか酷な気もする。

伊東と内藤は菊竹清訓事務所の出身なのだが、帰心の会に一九六〇年代のメタボリズムのような未来都市のプロジェクトはない。これまでの建築のあり方を深く問いなおし、まだ静かに悩む建築家の姿がそこにあった。(p.185)

 夜の食卓はビーフハヤシライスと林檎、ア・ラ・カンパーニュで購入したケーキ。「帰心の会」を記事にしている昨年の『装苑』(文化出版局)七月号を読み返してみたり。伊東豊雄の姿が写真で確認できるのだけれど、とても70歳には見えなくて、この建築家のアンチエイジングっぷりは何事か。

Thursday, January 12

清澄白河の古本屋しまぶっくで去年購入した『外国文学の愉しみ』(辻邦生/著、レグルス文庫)を読むものの文章が難解で「愉しみ」どころか辛酸を嘗める事態に陥る。どこでもよいのだがたとえばプルーストとボードレールを対置して

プルーストにあっては対象的認識の働きをする理知がまったく働きを失ったとき、不意に現われた無意識の記憶への反省によって、逆に、それが、理知を超出した働きを持つことが確認される。これに対してボードレールは理知の働きの限界を確定しつつ、それを超出する想像力によって無限拡散の日常的地平を超えようとする。つまり「外面性と因果律の関連の下に現出する散文的世界」、この「実用性の支配する世界」は、物象としては無際限だが、そうした一切を放棄し、その次元での事実性支配を否認すれば――そしてこの否認は、その事実性の支配が「たえず更新される自殺の様式」であれば、いっそう強い根拠をもって主張できるわけであるが――「確固不抜」な形で、新しい関連のもとに、世界が、鮮やかな雨上がりの朝のように現われてくるのである。(pp.159-160)

と述べるものだから、読書はぜんぜん先に進まない。帰宅途中、品川駅のPAPER WALLで『ラピスラズリ』(山尾悠子/著、ちくま文庫)を購入。

文庫化に当たって、何よりありがたかったのは再度の推敲の機会を得たことで、この際に全面的に手入れを行なった。自分でも思いがけないことだったが、手直しの最中は実に幸せだった。(p.240)

解説は千野帽子。夕食、白米に梅干、しらす、白菜の味噌汁、鯵の塩焼き、冷奴。

Friday, January 13

『大森荘蔵セレクション』(飯田隆・丹治信春・野家啓一・野矢茂樹/編、平凡社ライブラリー)を読了。大森哲学ゴールデン・ベスト。こういうアンソロジーもいいけれど、個人的には『言語・知覚・世界』や『物と心』や『新視覚新論』の文庫化を希望。ところで最後に付与された編者四人による座談会が「大森荘蔵の哲学はどういうものか」を話し合っているはずが、いつのまにやら各々が「じぶんはこう考える」という哲学の開陳合戦になっているのがおもしろい。このきわめて大森荘蔵的な箇所を読みながら、『大森荘蔵 哲学の見本』(野矢茂樹/著、講談社)の跋文にある

修士論文の準備をしている頃、構想や考えた議論を聞いてもらいに研究室を訪れる。しかし、こっちの話に対して徹底的に反論してくるのである。そして反論の次には自分の考えを述べ始める。あるときなど、ひとしきり話された最後に言った言葉がこうである。「ま、しかし、君の論文ですから。」(p.234)

というエピソードを思い出す。夜ごはん、ベーコンとほうれん草と赤黄パプリカとミニトマトのパスタ。

Saturday, January 14

渋谷と恵比寿でアート遊覧。まずは渋谷から。「渋谷ユートピア 1900-1945」(渋谷区立松濤美術館)、宇田川カフェでの昼食を挟み、「宇野亜喜良展 ひとりぼっちのあなたに」(ポスターハリスギャラリー)、「青森県立美術館コレクション展 北の異才たち」(パルコミュージアム)、恵比寿に移動して、「Wim Crouwel」(リムアート)を鑑賞ののち、アナログカフェで休憩して、ナディッフへ。「行きつ戻りつ つくり つくられること/佐野陽一+久村卓+山極満博」(ナディッフ・アパート)、「毎日写真/鷹野隆大」(ナディッフ・アパート)、「our face project : Asia/北野謙」(MEM)、「KAZAN/細倉真弓」(G/P gallery)、「ただ美しい模様にみえてきた/會本 久美子」(TRAUMARIS)。ふたたび渋谷に降りたち渋谷古書センターのフライング・ブックスを冷やかしたのち、夜は外食。宮崎地鶏炭火焼。

Sunday, January 15

おそく起きた朝は買いものと雑用で終わってしまう日曜日。ダイニングテーブルの切花を新しく。夕食はまぐろとかんぱちと鯛の海鮮丼、生卵としらすと海苔をのせて。一緒にもやしと葱の味噌汁。夜、『巴里のアメリカ人』(ヴィンセント・ミネリ監督、1951年、アメリカ)を鑑賞。