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Monday, December 26

ジェームズ・J・ギブソン『生態学的知覚システム 感性をとらえなおす』(佐々木正人・古山宣洋・三嶋博之監訳、東京大学出版会)を読む。夜ごはん、レッドカレー。年初の早稲田松竹(『ピアニストを撃て』と『日曜日が待ち遠しい!』の二本立て)からはじまったフランソワ・トリュフォー監督作品を断続的に観るという所作は、全作品の制覇ならぬまま今年最後のトリュフォー映画として『暗くなるまでこの恋を』(1969年、フランス)を鑑賞してひとまず終結に至る。

Tuesday, December 27

大澤武男『ヒトラーの側近たち』(ちくま新書) を読む。夜ごはん、白米、葱の味噌汁、ひじきの煮物、秋刀魚の塩焼き、大根おろし、冷奴、キムチ。自宅の収納スペースを無駄に占拠しているVHSのビデオテープをさっさと鑑賞済みにして廃棄してしまい、収納場所を少しでも確保しようというときめきの魔法計画第一弾。『木と市長と文化会館/または七つの偶然 』(エリック・ロメール監督、1992年、フランス)を鑑賞する。

Wednesday, December 28

ときめきの魔法計画第二弾。『ベンヤメンタ学院』(ブラザーズ・クエイ監督、1995年、イギリス/ドイツ/日本)。ローベルト・ヴァルザーの小説『ヤーコプ・フォン・グンテン』をもとにした映画だが、きのうのロメールにせよどうしてこんなビデオテープが家にあるのだろうか。ところで Movie Walker の映画解説文を繙くと、ヴァルザーについて「19世紀幻想不条理文学の呪われた巨人」とあり、「19世紀幻想不条理文学」とそんな漢字がずらずらならぶジャンルは一体なんだろうという感じで、さらには「呪われた巨人」というのも呼ばれた本人がどんな顔をしたらよいものか困惑しそうな褒めっぷりである。夜ごはん、白米、葱のみそ汁、豚肉と玉葱の生姜焼き、キャベツ、人参のナムル。

Thursday, December 29

見慣れた書名や固有名詞がずらずらならんでいて、おなじ文化圏だなと安心して読める平松洋子の『野蛮な読書』(集英社)。冒頭「モスバーガー西荻窪北口店」の話が登場し、あそこなら音羽館を訪れた帰りに立ち寄る店じゃないかと思ったり。あるいは山田稔『マビヨン通りの店』にふれながら加能作次郎のことが書いてあるのだが、今年一年で少なくとも三回は加能作次郎の名前をそれぞれべつの媒体で見かけていて、こうなるともう「乳の匂い」を読めというお告げかと思わざるをえなくて、

そもそも、本との縁は奇妙なところがあって、あるときぷつっと途切れもするが、ふとした拍子にふたたびあっさりつながることがある。そういうときは縁のしっぽを逃さないほうがいいというのが、本との長年のつきあいのなかで得た教訓である。

とあるし。夜ごはん、白米、鶏肉と長葱とせりの雑煮、白菜の甘酢漬け、南瓜煮、佃煮。

Friday, December 30

このあいだ読んだ山田桂子『東京ガールズコレクションの経済学』(中公新書ラクレ)にガールズ雑誌のポジショニングとして、縦軸に通勤着とカジュアル、横軸にモテ系と自分系を置き、「赤文字系エレガンス」「ギャル系エレガンス」「大人ギャル系エレガンス」「OL系エレガンス」「トレンド・カジュアル」「ストリート・カジュアル」と雑誌を分類したうえでマッピングを施したページがあった。しばしば見かけるこうしたマッピングに私はさして興味をもてないのだが、ある種の人々の「女性ファッション誌を分類したがる欲望」は気になるところで、女性ファッション誌を明晰に分類する彼/彼女たちはじぶんが何か利口な社会分析っぽいことをやっている気になっているかもしれないけれど、それは幻想だと思う。

夜ごはんは軽めで、鱈子としらすのお茶漬け、白菜と胡瓜の漬物。『一冊の本』(朝日新聞出版)一月号を読む。

Saturday, December 31

大晦日。『装苑』(文化出版局)二月号を読む。ラジオ。夜ごはん、年越し蕎麦。豚肉と葱とほうれん草、人参と大根の鱠をのせて。シャンパンをあけ、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集をめくりながら年越し。