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Monday, September 19

敬老の日。そのへんの老人よりも確実に私のほうが体調悪い。安静にしてしばし睡眠。夜ごはん、白米、豆腐と葱の味噌汁、人参とジャガイモと玉葱のスープ。体調悪化にともなう「食う」と「寝る」を実践ののち、『クウネル』の最新号を読む。『或る夜の出来事』(フランク・キャプラ監督、1934年、アメリカ)を鑑賞。

Tuesday, September 20

吐き気と胸やけがひどいので昼すぎに職場を抜け出して病院へ。病院で診察およびレントゲンで放射線被爆。処方されたのはガスターD錠10mg、ガスモチン錠5mg、ナウゼリン錠10。夜ごはん、温かいうどん、鶏肉、葱、豆腐、白胡麻。奥泉光『シューマンの指』(講談社)を途中まで。

Wednesday, September 21

台風15号。13時半ごろに会社から帰宅指示が出て、14時すぎのがらがらの電車で帰宅。さいわいにして帰宅困難者が発生した列車運休連発の地獄絵図には遭遇せず。奥泉光『シューマンの指』(講談社)を最後まで。つづけて青柳いづみこ『グレン・グールド 未来のピアニスト』(筑摩書房)。『シューマンの指』にはグールド嫌いの登場人物がでてきてつぎのように言い放つ。

あんまり聴かないけど、はっきりいって嫌いですね。グールド本人も嫌いだけど、グールドが好きだっていう人たちが、一番嫌いかな。

青柳いづみこもまた「グールドが好き」という人ではなくて

私が芸大のピアノ科の学生だったころは、グールドを認めるか認めないか、もっと端的に言ってしまえば、グールドにハラを立てるかどうかで、まともなオーソドックス路線か、ちょっとはみ出したエキセントリック路線か、が判定されたものだ。グールドの名は、ちょうどキリシタンを識別した踏み絵のように、同志を識別する暗号がわりに、ちらっと横目でぬすみ見る視線とともに便利な道具として使われていた。
学生時代の私は、同級生たちのポリーニやアルゲリッチへの熱狂ぶりを共有することはできなかったが、だからといってグールド派でも、なかった。今でも、伝説化され、神格化されたグールドは好きになれない。私がひかれるのは、演出されたパブリック・イメージからはみ出したところにいるグールド、はからずも本音を見せてしまったかに思われる(それじたいが演出かもしれないが)グールドだ。

とエッセイとも研究書とも評伝ともいいにくい(というのもエッセイというには内容がきっちり詰まっているし研究書や評伝というには「青柳いづみこ」という著者の存在が前面にでてくる箇所が多々あるので)おなじ実演家のまなざしからグールドの演奏や発言をひもとく『グレン・グールド 未来のピアニスト』で書いている。

私は、グールドが好きな人よりも、グールドを毛嫌いしている人のためにこの書を書いたような気がしている。グールドがアンドロイドのようだから嫌だと思っている人には、熱い血の通った人間だったという事実を知ってもらいたい。グールドの演奏が恣意的で嫌だと思っている人には、彼がこれ以上ないほど自然な演奏をしたということを知ってもらいたい。あのポツポツ切れる音が嫌だと思っている人には、彼が極上のレガートで弾くこともできたということを知ってもらいたい。

夜ごはん、白米、キャベツの味噌汁、蒸し南瓜、鯵のひらき、大根おろし。体調は小康状態。

Thursday, September 22

有給休暇。世田谷文学館で「和田誠展/書物と映画」。下高井戸シネマでヘルツォーク傑作選。『フィツカラルド』(1981-82年、西ドイツ)を観ながらジョゼフ・コンラッド『闇の奥』のことを思い出していた。ふたたび体調悪化により夜ごはんは食べず。ひきつづきの読書は青柳いづみこ『グレン・グールド 未来のピアニスト』(筑摩書房)。そういえば小説『シューマンの指』にはもうひとりグールドに言及する登場人物がでてくるのだが(正確にいうと「もうひとり」ではないのだけれど物語の種明かしにふれるので詳細は割愛)グールドが録音テープを切り貼りすることにふれてこう述べるくだりがある。

私がグールドの話に衝撃――というほど大袈裟でないが、或る種のショックを受けたのは、私が録音を生演奏より一段低いものと見なし、逆に一回限りの演奏の「神聖性」への信仰を、どこかで保持していたからだろう。もしも切り貼りでいいのだとして、その思想を押し進めるなら、人間ではなく、機械が演奏するのでかまわないということになってしまわないか? もしそうなったら、私が懸命にピアノを練習する、その意味は失われてしまわないか? 百メートル走の選手が〇・〇一秒でも記録を伸ばそうと努力しているときに、オートバイで走っていいことになったらどうする?。

しかしグールドはそもそも練習しなかった。懸命に練習してその意味を見出すなんてことをする必要はなかった。『グレン・グールド 未来のピアニスト』にもでてくるけれど、一九七〇年以降は一日三十分から一時間、十代の頃でさえ三時間くらいの練習量のグールド。

Friday, September 23

秋分の日。埼玉県日高市の曼珠沙華公園。雨のち曇のち晴。移動中に青柳いづみこ『グレン・グールド 未来のピアニスト』(筑摩書房)を読了。もう十年くらい前だろうか、NHKFMで磯山雅と宮澤淳一がグールドのバッハ演奏についての番組をやっていて、番組最後のほうで磯山さんが「グールドからメールが届いたらどうします?」と宮澤さんに訊いていて(漠とした記憶で書いているので誤っているかもしれない)、これはもちろんグールドが最新テクノロジー大好き人間であることを踏まえてのものだけれど、青柳いづみこもまた

もしグールドが二十一世紀に生きていたら、国際コンクールで名をあげ、辣腕マネージャーに引き立てられ、大手レーベルでレコーディングし、世界各地をひきまわされるかわりに、You Tubeでプロモーション映像を流し、ブログで自分の存在をアピールし、ツイッターで意見をつぶやき、mixiやFacebookでネットワークを広げようとするアーティストを大いに奨励するにちがいない。

と書く。ところで、重箱の隅をつつくようだが仮にいまなお存命であったとしてもグールドはmixiはやらないと思う。日本のSNSだし。ところで、重箱の隅をさらにつつくようだがYouTubeは「You」と「Tube」のあいだにスペースはいらないと思う。と、よそさまの瑕疵をあげつらうのは誤字脱字と日本語の誤謬連発の危険性の高い日記を毎週書いている身には自殺行為か。

夜ごはん、白米、葱の味噌汁、蒸し南瓜、秋刀魚の塩焼き、大根おろし、しらす。体調はあまり改善せず。

Saturday, September 24

ちがう病院で診察をうける。パリエット錠20mg、セブンイー・P配合カプセル、ムコスタ錠10mgを処方される。オラフ・オラフソン『ヴァレンタインズ』(岩本正恵訳、白水社)を読む。紙のさわり心地でわかる新潮クレスト・ブックスと白水社エクス・リブリスのちがい。夜ごはん、お粥。『スコルピオンの恋まじない』(ウディ・アレン監督、2001年、アメリカ)と『ラ・ジュテ』(クリス・マルケル監督、1962年、フランス)を鑑賞。

Sunday, September 25

東京都立中央図書館で調べもの。合間に港千尋『パリを歩く』(NTT出版)でくりかえし名前のでてくるシャルル・マルヴィルの写真集を眺める。合間に『草間彌生全版画』(阿部出版)も眺める。合間の時間のほうが長かったかもしれない。広尾から六本木にかけて徒歩。「長島有里枝/What I was supposed to see and what I saw」(1223現代絵画)、「Zapf展/ヘルマン・ツァップ&グドルン・ツァップ カリグラフィーの世界」(ギャラリー ル・ベイン)。六本木ヒルズのカフェで休息。

夜ごはん、白米、葱の味噌汁、生姜冷奴、焼き魚(鰤)、大根おろし。粋な夜電波。