何を見ても何処かに行きたくなる

「渋谷にゆかりのある明治末から昭和戦前までの美術家を取りあげた展覧会「渋谷ユートピア1900-1945」(松濤美術館)を観てきました」

「幕開けは菱田春草の「落葉」と題された屏風でしたね [1]。代々木近辺の雑木林を描いたものです。説明に目をとおしたら、菱田春草はおなじモチーフで屏風を六つ描いていて、一つが今回展示されている滋賀県立近代美術館のもの。そして、うち一つが永青文庫にあるらしいのです。お、永青文庫! と思って。永青文庫にまた行きたいなあ」

「永青文庫?」

「永青文庫は東洋の美術工芸品を展示している博物館なのですが、鬱蒼と生い茂る樹々のなかに建てられていて、なかなか趣のある場所ですよ。行ったことがないなら、ぜひ。文京区の目白台にあります。ちなみに館長は細川護煕だったかな?」

「館長やってるんですか? いつのまにか壺つくる人になっていた元首相は」

「えーっと、いま調べたところ理事長ってありますね。館長とはちょっと違うか。永青文庫って細川家の屋敷跡にできたものなんですけど、あ、館内整備のため3月末まで休館って書いてある。残念だなー、行きたいなー」

「永青文庫の話はそのへんにして、松濤の話にもどりましょう。いろいろおもしろい今回の展示だけど、異彩を放ってたのが杉浦非水の地下鉄のポスターかな、と思ったんですが」

「あの地下鉄のポスター、いいですねぇ」

「あれはけっこう有名なポスターですよね。書籍や雑誌など、いろんな媒体で何度か見かけたことがある。この人、他の作品を観るとちょっとミュシャ入ってますね」

「たしかに。そういえば今回の展覧会のポスターやチケットにも杉浦非水の絵が使われています。現代の作品といっても十分通用する。おしゃれですね」

「どうでもいいけど、地下鉄のポスター、駅のホームに人並びすぎだよ。みっちみち。あぶない。あとなんで少年が鳩持ってんだろう? っていう」

「なんですかね? あの子ども。王子様みたいな格好してましたし。とはいえ人びとの服装が和装洋装問わずモダンで、やっぱりとてもおしゃれです」

「昭和2年の作品。芥川龍之介が自殺した年か」

「不穏なことを言わないように。ほかに印象に残ったものとして、竹久夢二の作品、手紙、写真がありましたけど、夢二の奥さんのお葉さんがすごくきれいだった」

「夢二の手紙って封筒に宛先が書いてあるんだけど、達筆というか、流れるような文字で、いまあんな字を書かれたら配達員困るよ」

「届かないかもしれません」

「宛先不明で返送される」

「あと岸田劉生の絵も数点ありましたね。「道路と土手と塀(切通之写生)」は出品されてなかったですが、詳しい解説パネルがあって」

「作品は東京国立近代美術館に行けば常設で飾ってありますね」

「本当はあの坂道はあんなに急勾配じゃないのに、意図的に角度をつけたと解説されていて興味をおぼえました。そういえば学校の教科書に書いてあったような気もしますが」

「岸田劉生とおなじグループにいた椿貞雄という画家も紹介されていたんだけど」

「ぜんぜん知らない人でした」

「岸田劉生っぽい絵を描いている」

「すごく似てましたね。岸田劉生を慕った人と説明されてたけど」

「でも椿貞雄は劉生ほどには名を残しませんでしたね。教科書ではあんなに岸田! 岸田! 言ってるのに、椿はどこに行った? って感じですよ。あんまり慕いすぎるのも影響受けすぎでよくないのかな」

「村山槐多の作品もありました」

「村山槐多が死期の直前に半裸で雪の中に飛び込んでいったっていうエピソードが紹介されてたけど、なんですかねあれ?」

「どうしちゃったんでしょうね。それはともかく、村山槐多も渋谷にいたんですね。わたしが村山槐多を知ったのは、京王線明大前駅そばにある「ブック・カフェ槐多」がきっかけでした。そのカフェには村山槐多の作品が飾られていて、川端康成や小林秀雄の本もたくさん置いてありました。店主が水上勉の子息である窪島誠一郎で、彼が私財を投じてつくったのが、夭折の画家の作品を集めた信濃デッサン館と、第二次世界大戦で戦死した画学生たちの遺作を集めた無言館だと知り、数年前、観に行きました。デッサン館では村山槐多もよかったけど、展示のなかに松本竣介と野田英夫の絵があって、すごくいいなと思ったんですね。もうちょっとこれらの画家の作品を観たいなと思って調べたら、群馬の大川美術館に所蔵されていることがわかって、そこにも行きました。そういえば松本竣介も渋谷生まれ。今回の展覧会では、関係する美術家の印のついた渋谷周辺の地図が貼ってあって、松本竣介の名前を見つけたんだけど、絵の展示はなかったので残念でした。野田英夫の経歴はちょっと変わっていて、生まれはカリフォルニア。ニューヨークでディエゴ・リベラの壁画制作の助手もしたそうです。ディエゴ・リベラといったらメキシコの女性画家、フリーダ・カーロの夫じゃないですか! いいなあ、メキシコ行ってみたいなー、ニューヨークにも行きたいなー」

「話変わってるよ」

「ひさしぶりに行きたいなー、無言館。行きたいなー、デッサン館。大川美術館にももう一度行きたいです。群馬といえば温泉にも行きたいですね!」

「だから話変わってるって」

「旅情を誘う展示ですね!」

「戻りましょう、渋谷に。建築や家具の紹介もありましたね。蔵田周忠設計の建築模型があったんだけど、あの内田邸ってすごいですね」

「あの家おしゃれ。住みたい。大好きなサンルームがある時点で、もううっとりです」

「同潤会アパートについての展示が、階段の手すりとドア。あれ、解体時にあそこだけ持って帰ったってこと?」

「パーツとして保存しているのでは」

「最後の締めは谷中安規の木版作品がひとつだけあって。内田百閒の装幀などで知られる版画家ですね。谷中安規って松濤美術館で展覧会やってましたよね? ずいぶん前に」

「いま調べたら2003年の終わりから2004年にかけてですね。「谷中安規の夢 シネマとカフェと怪奇のまぼろし」展。“風船画伯”ね。とても印象に残っています」

「なんとも面妖な作品が並んでいたのを憶えています」

「それにしても今回の展覧会、渋谷にこんなに芸術家が固まっていたとは知らなかったので、勉強になりました」

「でも今日は来館者が少なめでしたね。松濤美術館って2階の展示室に行くと、会社の応接室にあるような黒のソファーでだいたい誰か寝てるんだけど」

「そうそう。おばちゃんたちがケーキ食べてたり」

「今日は誰も寝てなかった」

2012年1月某日 渋谷 宇田川カフェにて ( 文責:capriciu )
  1. 菱田春草の作品は会期によって異なり、前期は「浜辺の松林」と「鹿」、後期は「落葉」が展示されている。 []