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Monday, April 2

晴れ。昼間は季節を先取りするような暖かさ。

矢橋透『ヌーヴェル・ヴァーグの世界劇場 映画作家たちはいかに演劇を通して映画を再生したか』(フィルムアート社)を読む。ヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画作家たちがいかに演劇と親和性をもっていたかを、個々の作品分析をとおして論証している。

10年にわたり遠山顕が担当してきたNHKのラジオ英会話は先月をもって終了し、大西泰斗とポール・クリス・マクベイのコンビに変わった。途中体調を崩して過去の放送分を再放送する月もあったので遠山先生おつかれさまでしたという感じかなと思ったら、4月から「遠山顕の英会話楽習」なる新番組がはじまっている。

J-WAVEの「BOOK BAR」から生まれた杏&大倉眞一郎『BOOK BAR お好みの本、あります。』(新潮社)を読みつつ、ラジコで当の番組「BOOK BAR」を聴く。著名人が本の紹介をするコーナーに舛添要一が出ていたが、本の内容紹介がものすごく下手だった。

Tuesday, April 3

暖かいを超えて暑い。

キューピーのドレッシングのなかで個人的にいちばんおいしいと思っている「粗挽き黒こしょうドレッシング」がスーパーの棚から姿を消した。キューピーのホームページを参照しても、ドレッシングのラインナップから外れている模様。あいかわらずの逆マーケティング力を発揮している。

『みすず』4月号(みすず書房)を読む。山内一也の連載「ウイルスとともに生きる」を読むと不穏なことが書いてある。

天然痘ウイルスは、テロリストにとって最高の手段と言われている。病原体を散布する際には、自分自身も感染するおそれがある(ブーメラン効果)。しかし、天然痘ウイルスに対しては種痘というすぐれた予防手段があるため、その心配はない。テロリストは、自ら感染するおそれはないまま、ひそかに天然痘ウイルスを合成・培養して散布できる。天然痘ウイルスに感染して症状がでるまでには10日以上かかる。医師たちが天然痘と気がつくまでには、さらに日数がかかるものと思われる。天然痘ウイルスは、インフルエンザウイルスの二倍以上の強い伝播力を持っている。

夜、古関彰一・豊下楢彦『沖縄 憲法なき戦後 講和条約三条と日本の安全保障』(みすず書房)を読む。

Wednesday, April 4

最高気温25度の夏日。

吉田裕『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)を読む。同著者による『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)でも言及があったかと思う、日本全国で岩手県だけが陸海軍の戦死者数を公表している件について、本書でもふれられている。

実は日本政府は年次別の戦没者数を公表していない。福井新聞社の問い合わせに対して厚生労働省は、「そうしたデータは集計していない」と回答している(『福井新聞』2014年12月8日付)。また、朝日新聞社が2015年7月、47都道府県にアジア・太平洋戦争中の「年ごとの戦死者の推移をアンケートしたところ、岩手県以外はすべて『調べていない』と答えた。『特に必要がない』『今となってはわからない』などが理由だった」(『朝日新聞』2015年8月13日付)。

岩手県は年次別の陸海軍の戦死者数を公表している唯一の県である(ただし月別の戦死者数は不明)。岩手県編『援護の記録』から、1944年1月1日以降の戦死者のパーセンテージを割り出してみると87.6%という数字が得られる。この数字を軍人・軍属の総戦没者数230万人に当てはめてみると、1944年1月1日以降の戦没者は約201万人になる。民間人の戦没者数約80万人の大部分は戦局の推移をみれば絶望的抗戦期のものである。これを加算すると1944年以降の軍人・軍属、一般民間人の戦没者数は281万人であり、全戦没者のなかで1944年以降の戦没者が占める割合は実に91%に達する。日本政府、軍部、そして昭和天皇を中心にした宮中グループの戦争終結決意が遅れたため、このような悲劇がもたらされたのである。
ちなみに、アメリカの著名な日本史研究者であるジョン・ダワーによれば、アジア・太平洋戦争での米軍の全戦死者数は10万997人、このうち1944年7月以降の戦死者は少なくとも5万3349人であり、絶望的抗戦期の戦死者が全戦死者に占める割合は少なくとも53%である(War without Mercy, Race & Power in the Pacific War)。
日本では基本的な数値さえ把握できないのに対し、アメリカでは月別年別の戦死者数がわかることに驚きを感じる。そして、同書の詳細な注を見てみると、陸海軍省の医務・統計関係の部局が、そうしたデータを作成・公開している。日米間の格差は、政府の責任で果たすべき戦後処理の問題にまで及んでいる。

アジア・太平洋戦争中の戦死者数について、「今となってはわからない」はまだしも「特に必要がない」との回答は意味不明である。行政運営に死者数の把握は必要ないと宣言しているようなものだ。

Thursday, April 5

会社の昼休みの時間に、塚原史『ダダイズム 世界をつなぐ芸術運動』(岩波書店)を読む。

大相撲春巡業の最中に舞鶴市市長が土俵上で倒れた際、救命処置をした看護師の女性に対して土俵から下りるよう場内放送が流れた件が話題になっている。もの珍しいのかBBCも報道している。土俵の女人禁制という「伝統」には何の根拠もないことは高橋秀実『おすもうさん』(草思社)にあったかと思うが、だいたい伝統芸能というのは擬制のうえに成り立っているものだから、歴史的にも理論的にも根拠などありはしない。もっとも根拠がないこととフィクションの強度はまたべつの話であるが。

Friday, April 6

昼休みに会社近くの図書館まで歩くと、台風接近中のような強風が吹いている。

『UP』4月号(東京大学出版会)を読む。

夜、映画鑑賞。『ダイナマイトどんどん』(岡本喜八/監督、1979年)を見る。本作の初見は、池袋の新文芸坐で企画された岡本喜八追悼特集だったからそれは2005年のこと。上映開始と同時に右斜め前に座っている女性がとにかくずっと爆笑していて、この映画がよほど好きなんだなあと思って気にかけていたらその人は30分程経過すると突如席を立って帰ってしまった。散々笑った挙句に途中でさっさと帰る。なんだったんだあの女は。

Saturday, April 7

セシル・テイラー死去の報せ。

本日も強風。図書館と買いもの。明田川融『日米地位協定 その歴史と現在』(みすず書房)を読む。

夜、映画鑑賞。『残像』(アンジェイ・ワイダ/監督、2016年)を見る。ワイダの遺作はワイダらしい作品だった。

Sunday, April 8

自宅で読書。池内紀『記憶の海辺 一つの同時代史』(青土社)、大西美智子『大西巨人と六十五年』(光文社)、いとうせいこう『「国境なき医師団」を見に行く』(講談社)を読む。

夕食どきの話のなかで、荒木経惟の撮影でモデルをつとめた女性がハラスメントの被害をうけたと告発して話題になっていると教えてもらう。これまでけして少なくない数の荒木経惟の展示に足を運びつつも、彼の作品に対しては、もうこの人は怪獣のフィギュアだけ撮ってればいいんじゃないかと醒めた評価しかしてこなかった身からすると特段の驚きはなく、アラーキーのキャラクターを考えればさもありなん。それはそうと本件に関して、告発内容の事実関係の精査は必要であろうが、それとはべつに批評の領域において、たとえば飯沢耕太郎や笠原美智子などは何かしらの応答責任が生じるだろう。沈黙するようなことがあれば、写真評論など絵に描いた餅になってしまう。凡庸な性的欲望を作品化して芸術と名乗るさまを批判しながら『批評空間』の編集後記で荒木経惟を「ニセモノ」と喝破し、去年のKYOTOGRAPHIEのトークショーでも「野垂れ死ねばよい」と切り捨てた浅田彰は、あいかわらず「正確」だなと感心する。