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Monday, January 22

雪。滅多に積雪することのない東京都内としては大雪と呼んでさしつかえないだろう降りっぷり。会社から15時に帰宅指示がでて、早めの帰宅。どんどん雪が積もってゆく。
三島由紀夫の短編集『ラディゲの死』(新潮文庫)を読了。三島の小説は長編よりも短編のほうが好みかも。

Tuesday, January 23

晴れ。昨夜遅くまで降りつづいた雪の影響で、自宅から最寄り駅までの道のりが雪道になっている。転ばないように松浦弥太郎ばりのていねいさをもって慎重に歩く。
ダボス会議の開幕する日にダボスのサナトリウムを舞台としたトーマス・マン『魔の山』(関泰祐、望月市恵/訳、岩波文庫)を読み終える。『魔の山』は再読なのだが、物語の中身をほとんど憶えていなかった。

Wednesday, January 24

山本芳久『トマス・アクィナス 理性と神秘』(岩波新書)を読む。好著。
東京メトロの有楽町駅で『メトロミニッツ』(スターツ出版)を入手する。特集は「東京へ甘い季節がやってきた」。つまりはチョコレート特集。ヨーロッパのチョコレートはどうしてあんなに甘ったるいのか疑問に思っていたのだが、白金にあるショコラティエ・エリカの創業者がスイスで修行した経験をもとに明晰に説明していた。

基本的にヨーロッパでは、料理に砂糖を使いません。ですから、自ずと食後のデザートは甘さの強いものが好まれます。それに比して日本の料理は、煮物や和物や照り焼きのタレなど、料理に砂糖を多用するので、デザートはあっさりしたものを選ぶ傾向があります。スイスのレシピのままでは味が強すぎ、到底、日本人の口に合わないことを痛感しました。

有楽町の三省堂書店で『& Premium』(マガジンハウス)と『OZ magazine』(スターツ出版)を買う。前者は部屋、後者は東京の特集。

Thursday, January 25

本日は記録的な寒さ、らしいのだが晴れているからかそれほど寒いとは感じられず。澄んだ空気が気持ちよい。
『週刊文春』の報道姿勢への風当たりが強まっている。週刊誌の報道はユーチューバーの心理と似たようなもので、いちど評価されたらその水準以上のものを提供しなければならない謎の使命を帯びるので、どんどん過激になって倫理的な問題に抵触するようになるのは不可避である。しかし、過去にあった写真週刊誌による過熱報道とやや趣が異なるように思うのは、以前のものは出版社側がたんに調子にのっている風情であったが、昨今の状況については深刻化する出版不況を踏まえざるをえないからだ。雑誌が売れない、売れないどころか話題にもならない状況は、出版社にとって危機的な様相を呈している。
『週刊文春』の版元である文藝春秋の社長が図書館で文庫本の貸出をやめるよう要望するという、老舗の出版社からのものとは信じがたい見苦しい昨年の発言は、出版不況の深刻さを物語っている。『週刊文春』の編集部は芸能人の不倫を追っている暇があるならば、じぶんたちの業界の行く末を案じたほうがよいのではと思ってしまって、「文春砲」なるものを威勢よくやられても、どこか必死な感じに見えてしまうのがつらい。文庫本は借りるのではなく買ってほしいと懇願する出版社に偉そうなことを言われましても。文藝春秋社長の発言をめぐっては、図書館の貸出が出版の売上とどれほど相関関係があるかという議論に終始している時点で、出版業界の後進性を感じる。文庫本の売上を経営の屋台骨とするビジネスモデル自体が終焉を迎えたと判断し、つぎの一手を考えるのが経営者の仕事のはずで、潰れそうなビジネスモデルなんだけど潰したくないのでみなさん協力してください、なんて恥ずかしいことをいう経営者はどうかと思うのだが。

Friday, January 26

会社帰りにTOMORROWLANDに立ち寄ってニットを買う。会計時にレジで春夏のカタログも貰う。
自宅までの帰り道、風が吹きつけるので体感的にはきのうよりずっと寒い。
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(冨原眞弓/訳、岩波文庫)を読む。ちくま学芸文庫に入っている田辺保が翻訳を手がけた『重力と恩寵』では魅惑的な箴言集としてしか読めないものが、冨原眞弓による詳細な訳注のおかげで、アフォリズムを超えてヴェイユの思考の痕跡をたどることができる。

思想の萌芽や断片や霊感の詰めこまれた「カイエ」は、一義的には自分のための覚書だから、記述は単刀直入で、略記も多い。ヴェイユには時間がなかった。もともと頑健ではないうえ、過労と焦燥で健康は蝕まれていった。事実、マルセイユを出帆して一五か月後には異国の地で亡くなる。書かねばならぬことは多く、文字どおり寝る間も食べる間も惜しんでペンを走らせた。思考の奇跡、論文の要旨、概念集、読書記録、備忘録、古典の抜粋、引用や数式が、強固な意志を反映する美しい小さな文字に結晶する。使われるのはフランス語にかぎらない。ギリシア語、ラテン語、ドイツ語、英語、オック語、イタリア語が入り混じる。『バガヴァッド・ギーター』のサンスクリット語の写しも。断章間の飛躍や断絶も少なくない。行間を読まねばならないが、読みやすくはない。紙に押しつけられたペン先から、ひとつの思想がまさに生まれいでようとする。そっけなく粗削りだが、力づよい思考の息づかいが聞こえてくる。思想が生まれる現場に立ちあうのは、スリリングな読書体験である。
本校訂版では、できるだけ忠実な復元によってこの体験の再現を試み、読者の便宜を考え、各断章に番号を振り、通し番号の訳注を附した。ときにはあえて微妙な解釈にまでふみこんだ。これらすべての作業は、ヴェイユが残そうとした「純金の委託物」を可能なかぎり「ひとつの魂」として読者に差しだすために、訳者の責任でおこなった。「カイエ」の表紙に描かれた奇妙ないたずら書き(カバー絵)を眺めていて、ふと思った。頁のうえに焼けるように熱い思考の痕跡を残した書き手は、三十を少しすぎたばかりの若いひとだったのだと。

Saturday, January 27

山手線新橋駅で下車。銀座ギャラリー遊覧。
・「グラフィズム断章:もうひとつのデザイン史」展(クリエイションギャラリーG8)
・渡邊耕一「Moving Plants」(資生堂ギャラリー)
・「平野甲賀と晶文社展」(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)
・中谷芙二子+宇吉郎展「グリーンランド」(メゾンエルメス)
・フランク・ホーヴァット「Un moment d’une femme」(シャネル・ネクサス・ホール)
途中、休憩を挟もうとトリコロール本店と銀座ウエスト本店をまわるも、どちらも行列だったので退散。しかし行列に並んでまで喫茶店に入る意味がわからない。時間潰しのための喫茶店、行列で時間を潰してどうする。座席数のたくさんあるAUX BACCHANALESなら大丈夫だろうと向かったら、予想どおりあっさり入れる。赤ワインとフライドポテトを注文。資生堂ギャラリーで入手した『花椿』を読む。
煉瓦亭で夕食。元祖ポークカツレツとサラダとビール。

Sunday, January 28

曇天。終日自宅で読書。
ジェレミー・A・グリーン『ジェネリック それは新薬と同じなのか』(野中香方子/訳、みすず書房)を読む。アメリカにおけるジェネリック医薬品導入の経緯をつぶさに解説する本。薬には化学的な側面と生物学的な側面があり、ジェネリック薬は、成分は先発薬とほぼ同じであっても、コーティング剤などの添加剤によって体内で溶ける時間が異なったりするので、吸収に違いが出ることがあるらしい。そしてそれがどれほど重要なのかが論争になる。ロキソニン好きとしては、ロキソニンとロキソニンのジェネリック薬とでは効き目に若干のちがいを感じるのだが、気のせいだろうか。
つづけて東浩紀『観光客の哲学』(ゲンロン)を読んだら、東浩紀は過去の仕事をみずから整理しながら相対化していた。遠い将来に誰かが書くかもしれない東浩紀論をじぶんでやっている感じである。