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Monday, January 8

祝日。曇り。

自宅で音楽を聴く環境をBOSEのアンプ内蔵スピーカーから、パイオニア製のスピーカーとアンプに切り替えた。オーディオに凝りだすと天井がないのでコスパ重視の環境整備で、泥沼、もとい奥深いオーディオの世界のなかでは相当安価な入門機の部類に入るものを選んだが、素直ないい音の出る空間ができあがる。あたりまえだがBOSEとはまったくちがう音が鳴るので、原音(に近い音)はこんな音だったのか! と聴いていて発見があり楽しい。いかにBOSEが重低音を強調する加工した音を出すかということ。とりわけクラシックやジャズのレコードをかけると明快なちがいがでる。クラシックをBOSEで聴くなんて邪道といえば邪道だが、それはそれとして了解済みでこれまで聴いてきた。個人的にはBOSEの音は慣れてしまえば嫌ではなく、BGMとして音楽を流すのにはとてもよくできたスピーカーだと思う。しかし、BOSEの音響装置は商業施設や一般家庭でこれほど広まっていながらも、オーディオマニアたちのBOSEへの評価は概して低い。それはBOSEの音自体の好き嫌いもあるが、BOSEのスピーカーは何をどうしようとBOSEの音になってしまうという、原音を尊重しながら機器の微調整に執念を燃やすオーディオマニアからすると面白みがないからだろう。そして一部のオーディオマニアによるBOSE批判は、ときに冷淡かつ攻撃的である。インターネット上には悪口雑言があちらこちらに転がっている。数値的に測定可能な分野にもかかわらず、音の世界は主観的な要素が強く働く。オーディオマニアによる舌戦は、譲れない主観的なものを過剰に防御する姿勢のあらわれなのかもしれない(金もつぎ込んでるし)。もっとも音の好みは人それぞれ。『SWITCH』(スイッチ・パブリッシング)が最新号でオーディオの特集を組んでいるけれど、取材にこたえる堀江敏幸のいっていることが正解かもしれない。

仕事が終わった後に飲むカップ式自販機のコーヒーのほうが、嫌な人と飲む丁寧に淹れたコーヒーよりも美味しい(笑)。音楽も僕にとってそういうもので。自分の場所に帰ってきた時に、同じところに機器があって同じようにスイッチが押せる、いつもと同じ音で鳴っている。そういうことが結構大事なんですね、僕の場合は。

夕方、小雨が降る。近藤聡乃『ニューヨークで考え中』(亜紀書房)の第二巻が今月出るというので、発売に備えた予習復習として第一巻を再読する。もっとも第二弾に収録されるであろう漫画のほとんどはWEB連載で読んでいるが。

夜、自宅シネマ。お役御免となったBOSEのスピーカーは映画を見るときの音響装置として使う。『ロシュフォールの恋人たち』(ジャック・ドゥミ監督)を再見。おなじミュージカル映画として正月に見た『ラ・ラ・ランド』と比較すると、ひとつひとつのショットの完成度は『ラ・ラ・ランド』のほうが上なのに(『ロシュフォールの恋人たち』はかなり雑だ)、映画全体としては『ラ・ラ・ランド』の小物っぷりが際立つのはどうしてだろう。

Tuesday, January 9

曇りのち晴れ。昼間の気温は17度くらいまで上がったようだが外にでなかったので実感できず。

正月明けからトーマス・マン『魔の山』(関泰祐、望月市恵/訳、岩波文庫)をちびちび読んでいる。あんまりおもしろくないなと思いながら読み進めているのだが、病気の話がどんどんでてくるあたりでおもしろく感じられてきた。

病気は人間をずっと肉体的に、いや、肉体だけにかえしてしまうのだ。

Wednesday, January 10

振り袖の販売・レンタル業者「はれのひ」が突然営業停止したことがニュースになり、成人式という催しになんの興味も関心もなかったのでいままで知らなかったのだが、晴れ着にかんするダイレクトメールは1〜2年前には届き、春から夏には業者や当日の衣装を決めてしまうという。そんなに早くから決めるのか。どうにも業界の都合で顧客の囲い込みをやっている感じがする。このたびの件では当日急遽対応した呉服店も現れるという美談も生まれたが、当日でもやろうと思えばなんとかなることをはからずも実証してしまったようにも思う。

Thursday, January 11

晴れ。トーマス・マン『魔の山』(関泰祐、望月市恵/岩波文庫)の上巻を読み終える。

フランス的というか空気を読まないというか空気を読まないところがフランス的というか、昨今の欧米を中心に話題となっているセクハラ問題にかんして、男性による女性を口説く自由は認められるべきだという公開書簡がル・モンド紙に掲載された。同調者としてその文章に署名をしただけらしいカトリーヌ・ドヌーヴの名前が、その知名度を理由にメディア上を飛び交っている。夜、そのカトリーヌ・ドヌーヴ主演の『シェルブールの雨傘』(ジャック・ドゥミ監督)を再見。現在の貫禄ありすぎなドヌーヴはこの当時、フランス人形のような容姿をしている。

三島由紀夫『愛の渇き』(新潮文庫)を読了。新潮文庫の裏表紙には小説の要約と大仰な惹句が書き連ねてあるが、実際の小説の感触とまったく噛み合っていない。

Friday, January 12

寒い日。午前中、三島由紀夫『仮面の告白』(新潮文庫)を読む。

昼過ぎに日比谷線の六本木駅着。ピラミデビルに向かってゲルハルト・リヒター「Painting 1992-2017」(ワコウ・ワークス・オブ・アート)と田幡浩一「マルメロと表裏」(YKG Gallery)を見てから、complex665に移動して上田義彦「林檎の木」(小山登美夫ギャラリー)と藤本由紀夫「STARS」(シュウゴアーツ)を鑑賞。六本木ヒルズに移動。ドイツビールの店フランツィスカーナーが閉店していた。森美術館で「レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル」を見る。テーマパークのような展覧会。ひとつひとつの作品の規模が大きいので、わりとあっさりと見終わってしまう。六本木ヒルズからバスで表参道に移動。void+で髙田安規子・政子「Dissonance」を見て、ラットホールギャラリーでロニ・ホーン「The Selected Gifts,(1974-2015)」を見る。夕食まで時間があるので青山ブックセンターで新刊チェック。

夜、CICADAで夕食。赤ワインを一本空ける。

本日の移動中の読書は三島由紀夫『小説家の休暇』(新潮文庫)。日記形式で綴られる表題作のエッセイ兼評論は、後年における三島の思考の萌芽が見て取れるのが読みどころなのであろうが、個人的には「小説家の休暇」における白眉はつぎのくだりだと思う。

六時、第一生命ホールへゆく。芝居がはねてから、文学座の五人と共に、すぐ隣の日活ファミリイ・クラブの、トア・エ・モア巴里祭パーティーへゆくに、上着とネクタイを着用していないので、入場を拒否される。私はアロハを着ていたのである。

Saturday, January 13

購入したアンプが初期不良で電源が入らなくなってしまったのでAmazonに交換してもらう。

注文しておいたunicoのダイニングテーブルが届く。組み立てにあたって棚板の据え付けに難儀するもののなんとか完成。部屋のレイアウト調整にエネルギーを費やして一日が終わってしまった。

日本経済新聞の夕刊に、川端康成の原稿(学生フォークのイベントプログラムに寄稿)が鎌倉文学館に寄贈されたとある。新聞は作家の自筆原稿の発見をやたらとニュースにするのだが、あれはなんなのか。

Sunday, January 14

晴れ。きょうも寒い一日。図書館、買いもの、アイロンがけ、ラジオ、読書、レコード、料理。

おととい表参道駅で入手したフリーペーパー『メトロポリターナ』1月号(産経新聞社)に「アートまみれのデートコース」なるものが紹介されているが、そのルートにいろいろと疑問が湧く。効率的にギャラリーをめぐることに心血を注いできた者からすれば、あまりに非効率極まりないこのルートは理解不能である。掲載されているデートコースはつぎのとおり。
1. 六本木ヒルズのルイーズ・ブルジョア《ママン》
2. スカイ・ザ・バスハウス
3. ナディッフ アパート
4. 原美術館 / カフェダール
5. アーツ千代田 3331
ルイーズ・ブルジョアの作品《ママン》を待ち合わせ場所としているのだが、森美術館に向かうでもなくつぎにスカイ・ザ・バスハウスに行くのであれば六本木ヒルズで待ち合わせをする意味がわからない。日暮里駅で待ち合わせればいいのでは。それに六本木から日暮里に行くのが結構面倒である。千代田線で乃木坂から根津に向かう手もあるが、六本木ヒルズから乃木坂駅まで歩くし、根津駅からスカイ・ザ・バスハウスまでも歩く(それも上り坂)。「展示を見たあとは、谷中エリアのカフェや商店街を散策して見て♡」と書いてあるので展示を先に見るらしく、ではやはり最寄り駅は日暮里駅だろう。待ち合わせ場所の設定がおかしいと思う。このあとも恵比寿のナディッフに向かってから品川の原美術館で最後はアーツ千代田という、とても効率的とはいえないルートをめぐるのも突っ込みどころなのだが、そもそもこのデートコースは時間配分というものを考慮しているふしがない。スカイ・ザ・バスハウスのオープンは正午である。原美術館が閉館するのは夕方5時だ。スケジュールがタイトすぎて「谷中エリアのカフェや商店街を散策」している暇はない。水曜日は夜8時まで原美術館は開いているが、それでも途中でナディッフなんか行っている余裕はあるのか疑問である。このデートコースを実践するのであれば、いちばん現実的なのはすべてタクシーで移動してしまうことである。しかしそれは、東京メトロのフリーペーパーであることの意義を完全に否定することになる。