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Tuesday, August 8

このたびのポーランド旅行における最大の目的地といってよい場所、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館に向かう。クラクフ中央駅からバスで約1時間半かけてオシフィエンチムに到着。ガイドがはじまるまでの時間、売店で『Auschwitz-Birkenau : The place where you are standing』という写真集と『The Private Lives of the Auschwitz SS』という本を買ったり(いずれもアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館がポーランド語で刊行した本の英訳)、隣接する食堂でアイスを食べたりして時間をつぶす。予定の時間になって、事前に申し込んでおいた中谷剛さんのガイドがはじまる。おなじガイドに参加する日本人は結構多くて20人ほどいたように記憶。およそ3時間ほどかけてアウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所跡地をまわる。

ここで少し長くなるけれども、平出隆『ベルリンの瞬間』(集英社)にあるつぎのくだりを引用する。

Nさんからの手紙に返事を書かなければ、と妻がいった。先週、ポーランドのクラクフから届いた。
ガイドツアーに入って、アウシュヴィッツ強制収容所の《ARBEIT MACHT FREI》(働けば自由に)という文字が掲げられた檻の中に入ると、古い校舎のような建物が三十ほど整然と並んでいた。かつての強制収容棟のうち、半数が展示室に変わっていた。
ガイドは、このあいだまで中学校の校長だったという六十代のポーランド人だった。悲痛な表情と、物をみせることの手際よさとを交互に誇張しながら、十余人の観光客を従えて展示順路をすすんでいった。ときどき少年時代の話を交えた。戦後、政府の要職にあった父の自転車に乗せられて解放されたばかりのここに来たとき、悪臭とおびただしい虫たちに驚かされた、というものだった。
犠牲者のトランクの山を展示する部屋に来たとき、ひとつを指差した。
「ほら、鞄に大きくKAFAKと書かれている。マリー・カフカ。そう、あのフランツ・カフカの妹のトランクです。」
そのときから、不信がはっきりとしたものになった。妻は、それを抑えなかった。このポーランド人の老練なガイドは、根のところで信用がならない。これでは彼のいうことはなにからなにまで嘘に聞こえてしまう、と彼女は囁いた。
カフカの愛した妹たちはエリとヴァリ、そしてオットラの三人で、ヴァリにマリアンネという子供はいたが、強制収容所で死んだのは三人の姉妹だけ、しかもアウシュヴィッツ絶滅収容所に来たのは、オットラだけである。彼女は初め、テレージエンシュタット収容所に入れられていて、そこで、アウシュヴィッツ行きが決った一般のユダヤ人の子供たちに付き添うことを、みずから希望した。エリとヴァリはルージのゲットーへ連行され、そこで死亡したという。そのあたりの事情を詳しく読み知っていた妻は囁く。
−−あのトランクの持ち主であるカフカは、別のカフカ家の人でしょう。なぜこういう場所で、犠牲者の名をすりかえてガイドすることができるのか。このひとはあんな嘘を、毎日のようにくり返しているのか。
途中から妻は、この調子のいいガイドから離れたいといいだした。悲惨ということばをさえ通り越した展示が、最低限の厳正さを要求し、それに従うことを促していた。しかし離れることまではできぬまま、一巡をガイドに従って見終えた。そして、高圧電流の走ったという二重に張りめぐらされた鉄条網の外へ、ふたたび《ARBEIT MACHT FREI》の門を出たときである。
ちょうど日本人のガイドの青年が、一団の日本人観光客を連れて入るところとすれちがった。そのガイドがNさんだった。二人は引き返し、Nさんにお願いして一団に加えてもらい、こんどは日本語で、もう一周最初から、収容所内部をたどりなおしはじめたのだった。
Nさんのガイドは、同じものを前にしてもまったく別種のそれだった。すべてに控えめで、しかし冷静に客観的なデータをいくつも示し、自分のいう見解はひとつの解釈にすぎないことを注意深く強調し、最後の判断は見る者自身に委ねるというものだった。
ベルリンに帰ってから、妻はNさんに手紙を書いた。
−−とても冷静なガイドをありがとうございました。でも、あなたの隣家に住むという方のガイドは、納得の行かないものでした。
Nさんから、この仕事のむつかしさを淡々としたためた手紙が届いたのは先週のことだった。

ここで言及されている「Nさん」とは中谷さんのことだろう。なぜ特定できてしまうかというと、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の日本人公式ガイドは中谷さんひとりしかいないからだ。中谷さんのガイドは評判どおり、強制収容所にかんする必要十分の情報を提供しながら、最終的には見学者自身に考えることを促すとてもよいガイドだった。

ユダヤ人排斥について現在のヨーロッパにおける移民・難民問題と紐づけながらガイドする中谷さんの話を聞きながら、やや皮肉だなと思ったのはポーランドの現況である。ポーランドはEUにおける優等生でありながら問題児でもある。経済成長という意味ではEU圏である利点を活用して順調に発展を遂げている。しかし一方で、右派である与党「法と正義」は、欧州委員会から非難されるほどに国内統治の強権化を推し進めている。ハンガリーの首相オルバンほどではないにしても、ポーランド政府もまた移民排斥の立場である。ユダヤ人絶命収容所のあった場所の国が難民排除を推進するというのは、歴史的な文脈に大きな相違があるとはいえ、皮肉な現状ではある。

クラクフに戻って夕食。旧市街にあるGruzińskie Chaczapuriにて。ジョージア(グルジア)料理のお店。クラクフは夜も賑やか。旧市街の中央市場広場は毎日がお祭り騒ぎのようである。