324

Monday, May 29

旅の翌日から会社。とてもつらい。

Tuesday, May 30

『図書』6月号(岩波書店)を読む。旅の疲れから読書に身が入らず。

Wednesday, May 31

エコノミスト誌の記事のなかから一本を毎週翻訳して載せる日本経済新聞だが、選ばれる記事の基準がよくわからない。最新号のエコノミスト誌には日本の天皇制を論じたものがあったが、これは選ばれず。もっとも、つぎの文章を翻訳して全国紙に載せるというのは、ややリスクのある話かもしれないが。

In terms of solutions to the shrinking pool, the traditionalists are of no use. They insist on no deviation from the tradition of an unbroken male bloodline—in their view, as Kenneth Ruoff, head of Japan studies at Portland State University, puts it, if the male bloodline ceases then Japan ceases. Their occasional suggestion of a return to concubines (Akihito’s grandfather was born to one) is intended seriously but is a joke.

Thursday, June 1

日本経済新聞の「私の履歴書」が今月は谷口吉生。初回は父である谷口吉郎の書いた『雪あかり日記/せせらぎ日記』(中公文庫)のつづきのようなはじまりかた。連載がたのしみ。

会社帰りに本屋で『BRUTUS』(マガジンハウス)を購入。表紙に「死ぬまでに見たい西洋絵画」と付された雑誌なんて普段であれば絶対に手に取らないが、買った理由は絵画の紹介者が山口晃だったので。山口晃が技法的側面を軸に絵画作品を一点一点解説するという濃密な特集になっていて、たいへん読み応えがある。山口晃のキャラクターからするとやはりと思ったのが「死ぬまでに見たい西洋絵画」という特集タイトルに対する違和で、つぎのようにエクスキューズをつけていた。

(最後にこの特集のタイトル「死ぬまでに見たい西洋絵画」について。編集部がつけたもので100は無理矢理だ。見たいとあるがコメントせねばならぬ為、既に見た絵が殆どで矛盾している。私としては好きな画家の複数枚を見たい。自分の好みを人に押し付ける気はない。死ぬまでにとは大仰だ。以上悪しからず)

Friday, June 2

小峰隆夫『日本経済論講義 ビジネスパーソンの「たしなみ」としての』(日経BP社)を読了。専門的な内容ではなく、かといって入門書でもなく、と著者は冒頭で書いているが、この内容は入門書だろうと思う。世の中の「入門」のレベルが下落しているような。

Saturday, June 3

田園調布駅のMAISON KAYSERでパンを、Metzgerei SASAKIでパテとサラダを、Precceで赤ワインとチーズを買ってから、東急東横線に揺られて明治神宮前駅を目指す。代々木公園でピクニック。家族連れが多い砧公園にくらべて、代々木公園はいろんな人が好き勝手にやっている感じがよい。正午過ぎはがらがらなのに夕方になるとわらわらと人が集まってくるのも、不健康な感じでよい。

Sunday, June 4

大野裕之『京都のおねだん』(講談社現代新書)を読む。自由すぎる京都大学ネタは鉄板だと再確認する。

私が在学中に「この人は天才だ」と思った人物はいま工場でバイトをしているし、友人と同じクラスの天才はいま東北地方でマタギをしている(ちなみに、女性)。

そもそも、現在生きているか死んでいるのか情報がない学友が多すぎる。大学院生の頃、調査研究でアフリカの部族とともに二年間生活していた先輩がいた。ある日、彼から手紙とビデオが届き、「現地部族の王様に気に入られ、王女と結婚して次の王様になることになったので、日本には戻らない。このビデオを両親に見せて説明してほしい」。私は先輩の岐阜のご実家まで伺い、説明した。ビデオには、御輿のようなものに担がれて現地の王女と結婚のダンスを踊っている先輩と、百人ぐらいの民の歓喜の様子が映っていた。それを流している間、ご両親はずっと無言だった。彼は今頃、立派な王様になったのだろうか。

ある先輩は、森毅先生の「自然科学史ゼミ」のレポートに「宝塚歌劇の歴史」を書いて、80点をもらっていた。

ほかにも、数学基礎論なのに吉田山でキノコ採集しかない教官や、インドにいって半年休講になった美術史の先生などなど。

妙な人が多かったので凡人の私は肩身が狭かったが、それでも在学中には自由にさせていただいた。いろんな先生方から毎年5月頃に電話を頂戴し、「大野くん、君は演劇で忙しいやろうから、授業に来んでええよ。舞台見に行くわ」と放置していただいたお陰で今がある。授業の思い出といえば、英米文学論か何かの授業中に先生やゼミ生と教室でバーベキューをして、次の授業までに肉の臭いを消すために必死になって換気したことなど、どうでもいいことしか思い出せない。

各ジャンルのトップを走るスター教官も大勢いたが、ある高名な先生は単位に関係のない現代思想の自主ゼミにおいでくださり、春と秋には講演会をしていただいた。当時その先生が編集委員をしていらした雑誌のテープ起こしのバイトもたまにやらせていただき、最先端の思潮と先生の編集の仕事をかいま見ることができたのは、今となっては大きな財産だ。

最後のは雑誌『批評空間』の話で、高名な先生とは浅田彰のことだろう。こうして並べると浅田彰の常識人ぶりが際立つ。