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Monday, November 21

猫沢エミがインスタグラムの「ストーリー」機能を使って、森下駅近くの居酒屋「魚三酒場」でホセ・ルイス・ゲリンと呑むという謎の動画をアップしていた。動画では、ゲリンが敬礼しながらとぼとぼ歩いている姿を確認できるのだが、これは一体なにをやっているのだろう。みんな酔っ払っている様子なので中身はいまいち判然としないのだが、映画『秋刀魚の味』で笠智衆と加東大介と岸田今日子がトリスバーで軍艦マーチを聴くシーンを真似ているようにもみえる。ゲリンの動きが加東大介っぽいのだ。しかし仮にそうだとすると、ゲリンの手の角度がずいぶんと斜めになっており、加東大介よろしく脇を締めて「こうじゃない! こう!」と突っ込みを入れなければならない [1]

Tuesday, November 22

伊藤文『パリ、カウンターでごはん』(誠文堂新光社)。カウンターのあるパリの飲食店を紹介するコンセプトはおもしろいが、いかんせん文章が下手すぎる。

Wednesday, November 23

東京藝大のロバート・フランクの展覧会を見て、彼を特集した雑誌『coyote』(スイッチ・パブリッシング)のことを思い出す。2009年2月10日発行。日本語で読めるロバート・フランクに関する文献はほぼ皆無のなかで、このたび読み返してみた『coyote』は、金子隆一によるこれまで計8回刊行されてきた写真集『The Americans』の異同の変遷を追う論考が載っていたりと充実の内容で、入手がだんだん難しくなるのが運命である雑誌という媒体のままにしておくのはもったいなく、書籍化して売るべきなんじゃないかと思ったりする。ホンマタカシによるつぎの指摘などは、ロバート・フランクの写真をざっと見ただけでは誤解してしまうであろう点を、『The Americans』のコンタクトシートを参照しながら突く。

ケルアックの序文も各写真に付されたタイトルも読まない日本人の多くは、<ロバート・フランク=センチメンタル>と思っているだろうが、こと本書に関する限り、徹底的に取材して撮影された写真なんだと言い切った方がいい。ワシントンの展覧会「Looking in」で公開されたコンタクトシートを見てみると、一つのカット(例えば「US285, New Mexico」の道の写真)にしても、縦位置・横位置・アングル変えと「お仕事写真」の手順に従ってきっちり撮られてる。トリミングも、被写体やイベントがハッキリするように周到に施され、余分な部分は徹底的に排除されている。たぶんこれまでほとんどの人が、フランクさんがトリミングなんてするわけがない! シャッターを切るだけで名作を生む天才なんだ! と思っていただろう。でも彼は、当時のアメリカ社会が浮かび上がるように、キチンと取材して編集していた。あたかもヒトリ岩波写真文庫のように。もちろんそれによって『ザ・アメリカンズ』の金字塔が色褪せることなどない。むしろフランクの写真は、報道写真や広告写真のように「意図を持った写真」であるにもかかわらず、写真史上の不朽の名作になっているのだから二重の意味で素晴らしいと思う。(p.71)

夜、自宅シネマ。ジャック・タチ監督『トラフィック』(1971年)を見る。

Thursday, November 24

ロバート・フランクを特集した『coyote』には、佐久間裕美子によるアメリカ内陸部を旅したレポートが載っているのだが、これが素晴らしい。取材時期はちょうどオバマが大統領に選ばれる頃。なにが素晴らしいって、このレポートをいま読むと、アメリカという国は基本的にはまったく変わっておらず、人々の政治への幻滅がより一層深くなっているだけだという事実を突きつけてくることだ。

ロバートはアメリカ人を「善良な(good)人々」と呼んだ。私のアメリカ人観も似たようなものだ。ステレオタイプを恐れずにいえば、善良で親切だけど、ちょっぴりお節介で独りよがり。この国に暮らしはじめてからいつもピンチでは見知らぬアメリカ人の親切に助けられてきた。でもその善良で親切なアメリカ人がブッシュ大統領を二度も選出し、イラクに侵攻することを支持したのも揺るぎのない事実なのだ。旅に出たいと思ったのは、自分の体験と「世界のモンスター」、そのズレの正体を体感したかったから。答えが出ないとしても、見知らぬ人たちとの出会いを模索し、彼らのストーリーに耳を傾けたり、生活の切れ端を目撃することで考えたかったのだ。(p.163)

一目見て日本人だとわかる私とヒスパニックに見られがちなフィリピン系アメリカ人のグレースが二人きりでアメリカをまわる、そんな計画に、ニューヨークの友人たちは驚くほど心配した。護身用スプレーを餞別にくれた人もいた。ニューヨークの人たちはミドルアメリカ(内陸)のことを、どこか恐ろしい場所のように考えている。(p.168)

ガス代が高い、医療費が払えない、移民が増えすぎた、今のアメリカに対して文句をいうとき、人は恐ろしく饒舌だった。それなのに旅をしていると人々がアメリカという国を誇りに思い、愛していることを示すサインが目に飛び込んでくる。普通の日でも玄関先には国旗を掲げ、車に国旗のステッカーを貼る。アイスクリームを売るスタンドの名前は「アメリカン・クリーム」で、ダートレースの名前は「アメリカン・アウトローズ」なのだ。(p.174)

Friday, November 25

畠山直哉と大竹昭子の対談集『出来事と写真』(赤々舎)を読み終えたところでつぎに手をのばしたのは、粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』(小学館)。畠山直哉をはじめ多くの写真家を見出した石原悦郎の評伝。日本最初の写真専門ギャラリーであるツァイト・フォト・サロンを立ち上げた人物の生涯を追った本書は、ノンフィクションとしては文章がややこなれていないものの、日本の戦後写真史を考えるうえで資料的価値をもつ好著だと思う。石原悦郎の人生をたどることで、日本における写真の歴史の輪郭が鮮明になる。

Saturday, November 26

セリーナ・トッド『ザ・ピープル イギリス労働者階級の盛衰』(近藤康裕/訳、みすず書房)を読み終えてからの外出。渋谷へ。

Bunkamura ザ・ミュージアムで「ピエール・アレシンスキー展」を見る。あまり好みではない画風。日本の前衛書道に影響を受けたりもしたようだが、西洋人が東洋的なものを換骨奪胎しようとしてうまくいっている例をあまり知らない。政治や経済や軍事や外交では困るが、こと芸術に関しては、ヨーロッパはヨーロッパ中心主義で突き抜けてくれたほうがよいような気がする。

紅葉した田園調布の銀杏並木を散策してから、夜、近所の焼鳥屋に赴く。評判の店だけあって、とてもおいしい。

Sunday, November 27

日経新聞の読書欄に土井丈朗が論壇時評を書いているのだが、このたびのアメリカ大統領選挙をめぐって、つぎのように要約している。

東京大学教授の久保文明氏(中央公論12月号)は、米大統領は巨大な権力を握っていると思われがちだが、議会が絡む内政では劇的な成果は生まれにくいとの認識を示す。確かに、米大統領は、行政部局の人事について強い権限を持つ。また、上院の承認を必要とするものの、連邦裁判所の判事を任命でき、議会が可決した法案に対して拒否権を発動できる。
しかし、大統領は政党の党首でもなければ、自党の公認候補を指名する権限もないから、与党が両院で多数党であっても、議会対策は容易ではない。立法府との関係では、米大統領は極めて弱い立場に置かれている。一挙に難問を解決し理想郷をもたらしてくれる、と米国民が大統領に寄せる期待は大きい。しかし、構造的に大統領にその力が備わっていないことから、その意味で失望は不可避との見方を示す。

ほとんど似たような話を、待鳥聡史『アメリカ大統領制の現在 権限の弱さをどう乗り越えるか』(NHK出版)を参照しながらトランプが当選した日の日記に書いたのだが、アメリカの政治制度を勘案すれば、誰が論じてもおなじような理路になるのだろうと思う。しかしアメリカ人の有権者のどれくらいが大統領の権限の制約を理解しているのだろう。日本でも国会のしくみや選挙制度にまったく無知のまま投票する人はいくらでもいると思うので、多くのアメリカ人は自国のリーダーを決めるだけと考えているかもしれないが、オバマに期待して失望し、つぎは真逆のトランプに期待して失望するとしたら、あまりにもあんまりな事態ではなかろうか。

夜、自宅シネマ。マノエル・ド・オリヴェイラ監督の映画を二本。『アンジェリカの微笑み』(2010年)と『ブロンド少女は過激に美しく』(2009年)を見る。

  1. https://www.youtube.com/watch?v=YKvx2Ip2Qvk []