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Monday, October 3

邦訳が刊行された当時に読んだと思うリチャード・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』(田村哲夫/訳、みすず書房)。内容の記憶が朧げなので、アメリカ大統領選挙の結果が出るまでに再読しようと図書館の蔵書を確認したら、すでに結構な人数の予約が入っている。選挙結果のでる11月初旬までに予約の順番がまわってきそうもないので、原書をAmazonで買った。しかし11月までに英語の本を読了するほうがよほど難儀なことである気もして、積読にならないよう通勤鞄に忍ばせる。

夕餉のあとレコードを聴く。ナット・キング・コールの「the very thought of you」に針を落とす。レコードジャケットの裏をめくると、解説を大橋巨泉が書いている。

さてこのレコードは、昨年の大ヒットLP「恋こそはすべて」に次ぐキング・コールのスロー・バラード集です。今年のベストセラーといわれる「コール・ラテンを歌う」とぐっとムードを変えて、再び弦の魔術師ゴードン・ジェンキンスのバックを得て、ナット“キング”コールはあなたの胸に恋の歓びや哀しみ、そして切なさをひしひしと訴えて来ます。恋をしている方、或は恋の想い出をもつ方、そしてこれから恋をする方のために……

Tuesday, October 4

岩波書店のPR誌『図書』10月号が届く。アメリカ合衆国の市民権をもち、民主党の大統領候補者争いではバーニー・サンダースを支持したという室謙二によるトランプ現象を嘆くエッセイのなかで、つぎのくだりに目がとまった。

しかし今回のトランプ騒ぎの一番の教訓は、ファシズムが議会制民主主義の枠の中で力を持つ可能性を、多くのアメリカ人に明らかにしたことである。ヒットラーもムッソリーニも、まず議会制民主主義の枠の中で力を得たのである。その後に独裁者になる。それを引きながら今回のトランプの大統領選挙を論ずる文章もあったし、いま世界中で起こっている議会制民主主義制度内の右翼の台頭を、トランプと並行して論じた文章もあった。

ヒトラーが議会制民主主義の枠の中で力を得たという認識は、必ずしも正確ではない。石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)が教えてくれるのは、ヒトラーが首相になれたのは、選挙に勝ったからではないという事実である。ヒトラー政権が成立する直前、国会第一党とはいえ、ナチ党は三分の一弱の議席しかなかった。しかしヒトラーは権力を握る。なぜならば、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したからである。ヒトラーが議会制民主主義の枠の中で力を得たというのは実情と異なる。その後のヒトラーの政権運営は、議会制民主主義を徹底して潰すことに専念している。民主主義のなかからナチスが誕生したという話はいまだによく語られるし、それをもとに民主主義の脆弱さを論じるものもあれば、だからこそ危うい民主主義をしっかりと守っていかなければならないなど、さまざまな言説が生まれてきた。しかしながら、それらのナラティブは歴史的事実に即しているわけではない。このたびのトランプ現象をめぐって民主主義のあり方を議論すること自体は無益ではないが、雑な議論をしてよいはずはない。

Wednesday, October 5

『サッチャー回顧録 ダウニング街の日々』(石塚雅彦/訳、日本経済新聞社)の上巻を読み進めるも、下巻に辿り着く前にだんだん飽きてきた。内容の濃い読みものとはいえ、回顧録とは詰まるところ自慢話であり、いまさらマーガレット・サッチャーの自慢話に耳を傾けるほど優雅な人間ではない。サッチャーに関しては評伝を読みたい。ところで、欧米の出版界では自伝や評伝が確固としたジャンルとして確立しており、評伝専門の作家なんていうのもいるけれど、日本にそんなライターはまずいない。御厨貴が政財界の有力者を相手にオーラル・ヒストリーをおこなっているが、日本の出版業界ではやや例外的な仕事だろうと思う。日本でもビジネス書界隈で会社経営者がしょうもない自叙伝を書いているのはいくらでもありそうだが、外国の著名人の上梓する回顧録は大抵ものすごく分厚い。日経新聞の「私の履歴書」を数百ページにわたるボリュームのある一冊にしてしまったような感じで、本気なのだ。自叙伝を出すことがひとつのステータスなのかもしれない。

Thursday, October 6

2017年春夏コレクションも終幕なので、会社の昼休みにUS版『Vogue』のWebサイトでランウェイを追う。ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、パリの順番でざっと閲覧。しかし時間がなくてパリに届く前に休憩終了のチャイムが鳴る。

自宅の最寄り駅の一駅先に、パン屋が二軒ある。競合してないで一軒こちらに移転してほしい。

郵便受けを覗くと、東京大学出版会のPR誌『UP』10月号と『Aesthetica』10/11月号が届いている。

Friday, October 7

こんにちは秋日和、さようなら真夏日。

内戦の和平合意を問う国民投票で反対票が上回った直後という最悪のタイミングで、コロンビアのサントス大統領がノーベル平和賞を受賞した。ノーベル平和賞ほど余計な賞もない。

『東京の24時間を旅する本』(DAY OUT BOOKS)を読んだら三浦哲哉が東京のおすすめスポットを紹介しており、『みすず』10月号(みすず書房)を読んだら三浦哲哉が料理本を論じる連載をはじめており、いま出版界で三浦哲哉はどういう扱いになっているのか。三浦哲哉による料理本語りは、対象をやや過剰に褒めすぎで、読んでいるこちらが冷めてしまう。

Saturday, October 8

鎌倉へ。向かう電車の中から外を見ると、曇天だった空から雨粒が落ちてきた。小町通りに入ってすぐのビルにある「秋本」で昼食。人気の店なのでもの凄く並ぶ。持参したシルヴィア・ビーチ『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店』(中山末喜/訳、河出書房新社)をほとんど読み終えてしまうくらい並んだ。やっと入った店内でしらす丼と天ぷらを美味しく食べる。

「古書ウサギノフクシュウ」に寄って『これは恋ではない 小西康陽のコラム 1984-1996』(幻冬社)を買う。続編である『ぼくは散歩と雑学が好きだった。』(朝日新聞社)は好きな本で、時折ぱらぱらとページをめくっている。彼の日記を読むと、小西康陽は基本、昏くて、状況をわりと冷静に見ている。

すこし散歩する。
中目黒・cowbooks。何も買わなかった。この店に来る度、何故か違和感を感じるのは何故か。
かつてオレがやっていたバンドに対して同じ感情を抱いた人たちも多いことだろう。

4cups+dessertsを少し覗いてから、「松本竣介 創造の原点」展を見るために神奈川県立近代美術館の鎌倉別館まで歩いている途中、先ほどまでの悪天候が嘘のように青空がひろがる。ずっと雨かよくても曇天といっていた天気予報は何だったのだろう。浜辺まで足をのばせば気持ちよさそうな天候になるも、生憎その時間はない。松本竣介の絵画を見てから、南に向かって鎌倉市農協連即売所内にある「LONG TRACK FOODS」でおやつを買って、かまくらブックフェスタの会場に向かう。独立系の出版社が集って対面で本を売るというイベントはよいものだと思うものの、いかんせんわたしは立ち話というものが極度に苦手なので、一通り見たら、早々に会場外の庭に出てしまった。誰かと話すなら、落ち着いた場所で、深刻な話を。椅子に腰掛けて、『ぽかん』別冊の『と、おもった日記』を読む。すぐ横を江ノ電が走っている。

何年か前に『ぽかん』所収の福田和美「なんでもよくおぼえてる」を読んだとき、日記としても読みものとしても完成している筆致に感銘を受け、読み終えるとすぐ、インターネットの海に漂流していたこの人の日記を探しだした。最近はあまり日記を更新しないようなので、『ぽかん』の存在は貴重である。鳥山明先生の漫画が読めるのは『ジャンプ』だけ、福田和美さんの日記が読めるのは『ぽかん』だけ。

夜、小町通りにあるイタリアン「オステリア コマチーナ」で夕食。この店で食べて飲んで帰りの横須賀線で寝る、というのが鎌倉観光の定番となりつつある。

Sunday, October 9

朝から土砂降りの雨。ようやく午後になって止んだので、都営三田線で西高島平まで。板橋区立美術館に向かう。会期終了間近の「よりぬき長谷川町子展」に駆け込んだ。衆人環視の新聞連載で『サザエさん』を描いたことで溜まったストレスを、『いじわるばあさん』で発散しているかのような流れがおもしろい。老婆(いじわるばあさん)が蹴っ飛ばされて壁に激突するコマなど、豪快に鬱憤を晴らしているようで清々しい。長谷川町子は他にも「意地悪お手伝いさん」「意地悪看護婦さん」「意地悪ラッシー」を描いているのは初めて知った。犬まで意地悪。展示が終わって、最後の部屋は物販。板橋区立美術館で物販がこんなに賑わっている光景をはじめて見た。

夜、駒込で降りて、Cafe&Deli COOKで夕食を食べてから帰宅する。