288

Monday, September 19

曇天の肌寒い祝日。読書。橘宗吾『学術書の編集者』(慶應義塾大学出版会)、鳥海修『文字を作る仕事』(晶文社)、『ジョージ・カックルの鎌倉ガイド』(PARCO出版)、赤澤かおり『鎌倉 のんで、たべる。』(朝日新聞出版)を読む。

『文字を作る仕事』を読み終えた記念に、著者が代表をつとめる字游工房のデザインした游ゴシック体を使ってみようと、このサイトのfont-familyをいじる。しかしながら、游ゴシック体をWindows環境のGoogle Chromeで綺麗に見せるには小細工が必要で、WEBデザイナーでもないのにそんな微調整に時間を費やしている暇はないと思って、結局元に戻した。

夜、ひさしぶりの自宅シネマ。『なまいきシャルロット』(クロード・ミレール監督)を見る。

Tuesday, September 20

会社からの帰り道は台風の影響でずぶ濡れ。

映画『なまいきシャルロット』はカーソン・マッカラーズの『結婚式のメンバー』(村上春樹/訳、新潮文庫)を翻案したものだと教えられたので、早速小説を読んでみる。内容に異なる部分は多々あれど、似たような台詞まわしがでてくるし、アメリカ南部を舞台にしたマッカラーズの小説をクロード・ミレールがフランスに置き換えて映画にしたのは明らかなのだが、小説における家政婦が黒人であるという事実が至要であるように思えてくる。映画ではおなじ立ち位置の人物をベルナデット・ラフォンが演じているが、映画と小説は似ているようで似ていない。閉塞的な環境に嫌気がさして「外部」に出たい少女の心理の機微を描くのは、映画も小説もいっしょだが、つぎのくだりにアメリカの南部を感じる。

「なぜならあたしは肌が黒いからさ」とベレニスは言った。「黒人だからさ。人はみんなそれぞれのやり方で閉じ込められている。しかしすべての黒人たちのまわりには、それに加えて完全な境界線が引かれている。あたしたちは閉め出され、自分たちだけの片隅に追いやられている。最初にも言ったように、世界中の人間がそうであるように、あたしたちは生れながらに閉じ込められている。そしてあたしたちはその上に、黒人としても閉じ込められているのさ。」(p.237)

郵便受けを覗くと、『みすず書房図書目録』とともに東京国際ブックフェアの案内、それと『MONOCLE』が届く。

Wednesday, September 21

200巻目にして最終巻の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(集英社)を読む。20年ぶりくらいに読んだ『こち亀』。ギャグは微妙だった。

Thursday, September 22

秋分の日。ミラノコレクションがスタート。ロンドンコレクションは会期が短いので、始まったと思ったらもう終わっている。ずいぶん前にコレクションを追う「趣味」はやめてしまったので、どのブランドで誰がデザイナーをやっているのかの知識は怪しいし、ランウェイを歩くモデルはさっぱりわからない。

髪を切る。引越してから髪の切断場所を美容院から床屋に変えた。床屋の場合、髪を切るのはわりとすぐに終わるのだが、切り終えてからのマッサージやら髭剃りやらに時間がかかる。

読みさしだった赤澤かおり『鎌倉 のんで、たべる。』(朝日新聞出版)を読了する。馴れ馴れしい文体にいささか閉口するも、紹介されている店はどれもよい。

Friday, September 23

秋雨前線が迷惑。洗濯物が乾かない。

『散歩の達人』(交通新聞社)を読んだら、情報は有益だとしても文章が時折過剰なのが気になってしょうがない。ふつうに書いてほしい。

Saturday, September 24

引越して都内を南下してからというもの、渋谷や恵比寿はすぐ近くという感覚だが、新宿まで行くには少し距離があり、池袋となるとはるか遠くの道程となった。その池袋へ。駅構内の「camp express」でカレーを食べてから、池袋西口で「八勝堂書店」と「ココナッツディスク」をまわってレコードを渉猟する。探しているものは見つからなかったので何も買わずに店を出た。古本屋の棚を探索するのはもう慣れたものだけれど、レコード探しの勝手はいまだにわからない。ルミネに寄ってインテリアショップの「unico」でバブーシュを買う。

広尾に移動。エモン・フォトギャラリーで横浪修「Assembly & Assembly Snow」を見る。とてもよかった。雨の中、広尾まで赴いた甲斐あり。

恵比寿で少し買いものをしてから、自宅の最寄り駅近くの寿司屋で夕食。出歩くのが厳しい夏が終わったので、これから近隣の店を開拓するのが愉しみ。

Sunday, September 25

ひさしぶりに晴れたので、ベランダで昼食をとる。パンとサラダとビール。そのままベランダで『MONOCLE』10月号を読む。

InterFMの「バラカン・ビート」を聴いたら、冒頭に吾妻光良&ザ・スウィンギング・バッパーズの「栃東の取り組み見たか」がかかる。ピーター・バラカンはこの曲をかけすぎ。ラジオからバッパーズのが流れるのはよいのだが、ほかの曲もかけてほしい。