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Monday, February 8

先日本屋でもらったフリーペーパー『honto+』に、このところTwitterでも話題になっていた川上未映子の「びんづめ日記」が掲載されていたので読んだら、初っ端いきなり「39歳、昔でいえばふつうに初老」と始まったのでのけぞった。たしかに初老だわー、キャハー(白目)

Thursday, February 11

末延芳晴『原節子、号泣す』(集英社新書)を読む。役者に無色透明な演技を求めた小津安二郎だったが、実によく女性をスクリーン上で泣かせているものだ、という事実に目をつけた著者の、原節子を中心とした小津映画の号泣シーンに関する小論考。東京物語の原節子号泣シーンは、今回の『ユリイカ』の原節子特集の、濱口監督によるテキストの主題でもあった。少々観念的で手垢のついた言葉が多用されていることが気になったものの、「原節子の号泣シーン」に的を絞ったことで、その主題に対してはとても具体的なアプローチをしていて面白かった(『東京暮色』の原節子は、両足首のあいだにお尻をぺたんと落とした体勢で泣いている、とか)。

だがそれにしても、なぜ小津はお尻を落として号泣する原節子を横から映したのか。考えられるのは、「紀子三部作」においては、スクリーンの正面、あるいはやや斜めに上半身をかがめ、両手で顔をおおい、スクリーンを見る私たちに向かって泣き崩れることで、原は自分が今、何か決定的に大切なものを失おうとしていることを、見る者に全身的に訴えようとしていた。言い換えれば、原が泣き崩れていった相手は、スクリーンの向こう側、すなわち映画を見る私たちであり、私たちはその泣き方の激しさと重さを正面から受け止めることで、原が失ったものの大きさと重さ、かけがえのなさを、私たち自身が失おうとしているものとして受け入れ、心を動かされ、共に涙を流すことができたのである。(pp.228-229)

仲良しの友人と、彼女の3歳になる長男くんと会い、ランチしながら2時間みっちりおしゃべりして楽しい時間を過ごした後、池袋の東京芸術劇場で「森山大道展」を観る。それから往来座に行き、『クウネル』のバックナンバーを買いあさる。近々値段が高騰するんじゃないか。なぜかいままであることに気づかなかった、往来座の並びのクラフトビールのお店でビールとケイジャンローストポテトを飲食してひとやすみ。ジュンク堂で開催されている「みすず書房 読書アンケート特集号フェア」で、持っていなかった、2006〜2010年のアンケート特集号バックナンバーを購入。

夜は、あまりに目の調子が悪く、痛いので、細かい活字は読まずに写真集を眺める。本橋成一『ナージャの村』(冬青社)。名著。

Saturday, February 13

月に一度の美容院。特別メニューもつけてもらって極楽。いったん帰宅する。

目の調子が悪いので、久しぶりに眼鏡でお出かけ。日暮里のスカイ・ザ・バスハウスで「ダレン・アーモンド 陽の光のかげで」を鑑賞。夜、久しぶりに露地で夕食。ルッコラセルバチコとペコリーノチーズのサラダ、マグレ鴨の燻製とあまおうのインサラータ、下仁田ねぎのビスマルク、やりいかと菜の花・からすみのスパゲッティ、ホロホロ鶏と黒キャベツのラグー ピチ、サラミセット、ビール、赤ワイン(ボトル1本、グラスワイン1杯)。帰り道、古書ほうろうに立ち寄り2冊買う。

Sunday, February 14

目覚めたら窓の外がほの明るく、あれ、いま何時だろう? 夜中ではなさそう、と思って時計を見たらもう午前6時。ほえ。ずうっと寝てた。最近いつも夜中に目が覚めるのに。そのまま起き出して、窓辺の椅子に座って、窓の外の樹が大きく枝をしならせて揺れるのを30分間ずうっと眺めていた。セーターを着る必要もないくらい暖かかった。ソファが夜明けの青い光を浴びていた。暖かくなればいくらだってこんなことができる。眺めながら、頭の中は高速回転して、いろいろなことを考える。真実はすべて早朝にあり。

チェーザレ・パヴェーゼ『月と篝火』(河島英昭/訳、岩波文庫)読了。パヴェーゼは読んでいる最中はぼんやり読んでいる、というかまあ叙情的だから、タラタラッと読んでいるのだけど、読み終わるとなんだか妙に印象に残るし、また読みたいなあと必ず思う作家だ。岩波文庫でたくさん出たのは本当にありがたいことだ。また再読していこう。

図書館に行き、本を返して、また借りる。とにかく暖かくて、コートを脱いで手に持ちたい陽気だった。午後は常備菜づくり。りぼんにんじんのピクルス、かぶの和風ピクルス、ひじきと油揚げと大豆の煮物、きのこのバルサミコ酢炒め。夜は、ごはん、しめじと小松菜の味噌汁、焼鮭、卵焼き、冷奴とトマト、午後につくった常備菜、ビール。きょうは東京に春一番が吹いたとのこと。