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Monday, August 1

葉月がはじまる。

ピチカート・ファイヴのアルバムタイトルとして小西康陽が引用した吉田健一の文章に、「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」というものがある。小西康陽が使ったのは「戦争に反対する唯一の手段は」の部分。吉田健一の意図からは外れてしまうかもしれないけれど、ここでの肝はやはり「執着」である気がして、生活を美しくすることを本気で追求するならば、どこか偏執狂的な様相を帯びてしまうほどの固執が必要となる、ということを考えてしまう。戦争に反対する唯一の手段かはさておき。生活を美しくすることに執着する気質はわたしにも多分にあって、このたび引越しをして、引越し業者の名前の入ったダンボール箱が部屋に積み重ねられている光景にたいしては、嫌悪を遥かに超えて憎悪すらおぼえるのだから、これはもうほとんど病的なまでの執着である。ろくに本も読まず、生活をいち早く整え直すことにひたすら専念する日々がしばらくのあいだ続いた。体力と気力を著しく消耗したけれど、生活を美しくすることを放棄するわけにはいかない。執着である。

新しい住所に出版社からのPR誌が届く。『一冊の本』(朝日新聞出版)をひらくと、港千尋が鷲田清一の近著(『素手のふるまい アートがさぐる〈未知の社会性〉』)の書評を書いている。

本になる前のコピーの束を読み終えたのは、六月末のヨーロッパである。まさに英国が国民投票によってEU離脱を決めた、その週だ。アートとは無関係と思われるかもしれないが、本書の中心テーマである「社会的なもの」をめぐる考察は、わたしにはこの歴史的投票の根底にある問題と直接触れるものだと思われる。
もともと「社会的ヨーロッパ」の実現を目指し欧州諸国と協力してきた体制が、その内側からEUに否を突きつけたことについては、政治的経済的な影響論ばかりが目立つが、問題の根底にあるのは「社会的なもの」の機能不全ではないか。それは特に離脱派が有権者にたいして離脱が何を意味するのかという説明や説得ではなく、あくまで情動に訴える戦術をとり、移民や難民にたいする恐怖心と敵対心を煽るような、一種の脅威論を徹底したことに表れている。EUとは実態ではなくプロセスである。参加国はどの国にとっても、従来の国家では持ち得ない「未知の社会性」を実現するための、思考のプロセスに参加することにほかならない。離脱とは、そこからの撤退を意味している。

朝食、バゲットとパテ、トマトとグリーンリーフのサラダ、ゆで卵、コーヒー。昼食、弁当。夕食、大葉とベーコンとトマトのアンチョビパスタ、しらすとグリーンリーフのサラダ、バゲット、ビール。エブリデイ・マイ弁当生活に復帰。復帰するまでのあいだは、丸亀製麺でうどんばかりを食べていた。

Tuesday, August 2

明け方、腹部に激痛が走る。胃痛というより筋肉痛のような痛みで目が覚めた。目が覚めるのと同時に、外では雷鳴が轟き、沛然として驟雨が来る。新しい生活スタイルにはだんだん慣れてきたものの、睡眠不足がつづいてよくない。

小難しい本に目をとおして思考を複雑にする気分じゃないので、安心する本を。桑原奈津子『パンといっぴき』『パンといっぴき2』(PIE International)を読む。

朝食、目玉焼き、トーストとバター、グリーンリーフとミニトマト、コーヒー。昼食、弁当。夕食、白米、大根と長葱の味噌汁、鯵のひらき、冷奴、ほうれん草のおひたし、塩辛、きゅうりの塩麹漬け、かぼちゃの煮物、ビール。

Wednesday, August 3

深夜、ふたたび背中と腹部に痛み。会社を休んで病院に行く。整形外科に赴くも原因は内科の可能性もあるとの診断。とりあえずロキソニンテープを処方され、しばらく様子見。

自宅で安静。引越し先のマンションはベランダが南東を向いているので、朝から夕方まで部屋のなかがずっと明るい。これまで北西向きの部屋に住んでいたので、あまりの日輪の恩恵のちがいに驚く。

読書をしない日々がつづいて知的弛緩が激しいので、本棚からまじめな本を抜きとる。熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波新書)。哲学の入門書っぽい風体だが、中身は濃くて読み通すのに骨が折れる。

『みすず』8月号(みすず書房)が届く。

朝食、なし。昼食、弁当。夕食、牛肉のステーキ、グリーンリーフとミニトマトのサラダ、バゲット、ペリエ。

Thursday, August 4

消化器内科を受診して病状を説明すると、その症状に該当する病気はないとの診断。でました、奇病。とりあえず内視鏡検査を受けることに。

熊野純彦『西洋哲学史』(岩波新書)の「古代から中世へ」の巻を読み終えたので、今度は「近代から現代へ」の巻を。あとがきから読んだら、熊野純彦は花火が好きだと書いている。

むかしから花火が好きでした。一瞬、夜空を照らして、闇にひろがり散ってゆく大輪の花も、ベランダのかたすみで、しばらくちりちりと身を焦がして、やがては燃えつきる、線香花火の儚さも好みです。花火大会が終わったあとの、あるいは、最後の線香花火が燃えおちた、そのあとの、なんともいえない淋しさすら、子どものころから嫌いではありません。(p.259)

共感。しかし今年の夏は、まだいちども花火を見ていない。

朝食、トーストとバター、人参とグリーンリーフのサラダ、目玉焼き、コーヒー。昼食、弁当。夕食、ひやむぎ、枝豆、キムチ、ペリエ。

Friday, August 5

iPadでエコノミスト誌を読む。住所が変わって通勤電車に揺られる時間が短くなったので、これまでも読みきれない記事の量だったエコノミスト誌を今後ちゃんと読めるかが不安。そもそも英語読解力向上の気配がまるでないので理解の深度に不安。

『UP』8月号(東京大学出版会)が届く。長谷部恭男の新連載がはじまっている。

朝食、トーストとバター、人参とグリーンリーフのサラダ、ゆで卵、コーヒー。昼食、弁当。夕食、ポークシチュー、紫たまねぎとトマトとグリーンリーフのサラダ、バゲット、サンペレグリノ。デザートにモロゾフの復刻カスタードプリンを食べる。

Saturday, August 6

高田馬場からバスで早稲田大学に向かう。演劇博物館の「あゝ新宿 スペクタクルとしての都市」と會津八一記念博物館の「ル・コルビュジエ ロンシャンの丘との対話展」「チューリッヒ・ダダ100周年 ダダイスト・ツァラの軌跡と荒川修作」を見るのが目的。しかしちょうどオープンキャンパスの日で、大学構内は高校生でごった返していた。去年の夏に演劇博物館と會津八一記念博物館を訪れたときもオープンキャンパスが開催中で、二年連続で人だらけの早稲田大学にいる。

會津八一記念博物館の常設展の一角で展示されていたチューリッヒ・ダダの資料を見ていたら、係りの人に「ダダ目的の方ですか?」と尋ねられ、ダダ100周年を記念してつくられたフリーペーパー「ダダ新聞」をいただく。しかし「ダダ目的の方ですか?」と訊かれるのは一生のうちこれが最初で最後だろう。

東西線で飯田橋に移動。ミヅマアートギャラリーで会田誠の個展「はかないことを夢もうではないか、そうして、事物のうつくしい愚かしさについて思いめぐらそうではないか。」を見る。TOKYO ART BEATにある説明に「これまでの「会田誠」という作家イメージを根底から覆すもので、「なんなら今までの僕のファンが総取っ替えになっても構わない」と会田は言い切ります」とあるのだが、作家イメージが根底から覆されるなんていう大それた印象はなく、少なくともファンが総取っ替えにはならないのでは。会田誠の考えていることそれ自体はおもしろいけれども。

飯田橋から東京駅に移動。東京ステーションギャラリーで「12 Rooms 12 Artists UBSアート・コレクションより」を鑑賞。エド・ルシェの作品が相当数まとめて見れて嬉しい。

つづけて三菱一号館美術館で「From Life 写真に生命を吹き込んだ女性 ジュリア・マーガレット・キャメロン展」、さらに銀座まで歩いて、銀座メゾンエルメスで「奥村雄樹による高橋尚愛」展、資生堂ギャラリーで「石内都 Frida is」を見る。

朝食、ソーセージと小松菜とトマトのグリル、目玉焼き、バゲット、コーヒー。昼食、飯田橋のCANAL CAFEにて。夕食、銀座のAUX BACCHANALESにて。

Sunday, August 7

先日受診した人間ドックの結果が届く。耳が悪いという以外は、特筆するような異常はなし。いよいよ明け方の腹痛の理由がわからない。

バスに乗って図書館に向かう。居住する都内の区が変わって、あたらしく図書カードをつくる。帰りに食材の買いもの。

朝食、バゲット、目玉焼き、ベーコン、きゅうりと人参と紫たまねぎのサラダ、バニアアイス、オレンジジュース、コーヒー。昼食、ベーコンと小松菜のアンチョビパスタ、パン、ミネラルウォーター。夕食、チキンカレー、トマトと紫たまねぎとサニーレタスのサラダ、プラム、シメイホワイト。