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Monday, March 7

夜、『オルエットの方へ』(ジャック・ロジエ監督、1969年)を見る。妙齢のフランス女性三人によるバカンス映画だが、「女子会映画」との呼称を与えてもよさそうな内容で、お喋りすることそれ自体が主眼であって会話の着地点を模索するなどさして重要視しない女子会の紋切り型イメージどおりに進行し、上映時間154分という長さをもって映画はだらだらとつづく。終盤、男(ベルナール・メネズ)がブチ切れるシーンがあり、想っている相手の反応が芳しくなく馬鹿にされているような雰囲気にいらだったからなのだが、まるでだらだらとつづく映画に痺れを切らして発狂してるかのよう。

朝食、トースト、ブルーベリージャム、サニーレタス、目玉焼き、珈琲。昼食、弁当。夕食、白菜とベーコンのアンチョビパスタ、サニーレタスとトマトとかいわれのサラダ、赤ワイン。

Tuesday, March 8

イギリスの託児所を舞台に繰り広げられる『みすず』で連載中のブレイディみかこのエッセイがおもしろく、前後の話の筋を端折った以下の引用では何のことかさっぱりであろうが、おもしろさの片鱗は伝わるのではないかと思う。

やれ難民問題だ、白人とムスリムの衝突だ、などというニュースは世界で起きていることのほんの上っ面しか伝えていない。有機物である本物の社会の内側で起こっていることはもっとディープだ。地元の英国人を排除しようとする移民を叱り飛ばしているムスリム女性がここにいる。(『みすず』3月号、p.41)

朝食、クロワッサン、サニーレタス、茹で卵、珈琲。昼食、弁当。夕食、寿司、白菜の味噌汁、麦酒。

Wednesday, March 9

京都旅行を画策する前哨戦として、京都関連の本を読み始める。川端康成『古都』(新潮文庫)に手をのばしたのは、小林丈広・高木博志・三枝暁子『京都の歴史を歩く』(岩波新書)を読んだら、この小説について言及があったので。

西の回廊の入り口に立つと、紅しだれ桜たちの花むらが、たちまち、人を春にする。これこそ春だ。垂れしだれた、細い枝々のさきまで、紅の八重の花が咲きつらなっている。そんな花の木の群れ、木が花をつけたというよりも、花々をささえる枝である。
(p.14)

などの虚を突かれる川端の文章に感銘を受けるも、本人のあとがきによれば、毎日のように睡眠薬を飲みながら執筆したらしい。

朝食、ピザ、サラダ、珈琲。昼食、弁当。夕食、白米、大根とわかめと豆腐の味噌汁、豚肉と白菜とピーマンのオイスターソース炒め、冷奴とトマトとサニーレタス、小松菜のおひたし、麦酒。

Thursday, March 10

Googleの開発した人工知能を有する囲碁ソフト「AlphaGo」が、世界最高峰の棋士を相手に勝利を収めた。1997年にIBMのコンピュータ「ディープブルー」が、チェスで当時の世界王者を打ち負かしたとき、将棋や囲碁の世界はまだ楽観的であったように思う。将棋や囲碁のトップレベルの棋士がコンピュータに敗れる日は、将来的には必ず訪れるであろうが、その「将来」はすぐではないと。理由として、チェスに比べて、将棋は取った駒を再利用できる点で複雑さが格段に増すし、囲碁に関してはさらに自由度が高いので、プロの棋士相手には勝負にならないと思われたからだ。しかし、予想より早かったのか遅かったのかはわからないが、「将来」は訪れた。このたびの対局の解説でおもしろかったのは、人間からすると悪手と思えるような手をコンピュータが打ち、しばらく局面が進むとその手が妙手だったとわかったという話だ。将棋や囲碁の世界には、形勢判断をおこなう能力を意味する大局観という言葉があるけれど、多分に直感的なものと考えられてきた大局観を、人工知能が有する日が来たということかもしれない。それも、人間の思考の相似形としてではなく、コンピュータ独自の「個性」をもつものとして。

朝食、トースト、目玉焼きとトマト、珈琲。昼食、弁当。夕食、白米、ほうれん草の味噌汁、鯵のひらき、ピーマンと白菜とベーコンの炒めもの、きゅうりとキムチ、麦酒。

Friday, March 11

iPadでエコノミスト誌を読む。

ジェーン・スーという人物の存在を知らずに『CREA due trip』(文藝春秋)の「東京ひとりガイド」に載っていた見開きのエッセイを読んで、これは優れた書き手の登場だと思っていたらすでに「講談社エッセイ賞」を受賞しており、わたしが知らないだけだった。早速刊行済みの二冊の著書『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)と『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎)に目を通したところ、これは酒井順子を継ぐ書き手の登場かと思ったら前者の文庫解説は酒井順子で、わたしが知らないだけだった。それにしても元オリーブ少女の書くものは屈折していればしているほどおもしろく、『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』で、読みたい女性誌が見つからずに漂流したあげく、なぜか不時着した『週刊現代』のページをめくっていたら酒井順子のコラムに遭遇してしまうくだりがよい。

オリーブ原理主義者だったにもかかわらず、私は大人になった意識の高いオザケンに付いていけず、アイコンだった栗尾美恵子さんは、まったくカテゴリーの異なる雑誌のスターになってしまいました。「大人のオリーブ少女はGINZAを読め」とマガハは言うかもしれないが、『GINZA』はファッションの敷居が高過ぎだ。メンターを失い雑誌流浪の旅に出て、ひっそりひとり『週刊現代』という異国に辿りつき・・・・・・と、多少メランコリックになっていた私の目前には、あのマーガレット酒井という見慣れたモスクが立っていました。もしかしたら、これこそが順当な道順だったのではあるまいか。「未婚の子ナシ女は四十路で週刊現代」が正解なのかも・・・・・・。でも女性誌も読みたいんですよ。気が滅入らない等身大か、暗澹たる気持ちにならない未来が描かれた女性誌が。(p.166)

朝食、ピザトースト、ミニトマト、珈琲。昼食、弁当。夕食、野菜とチキンのデミグラスソースシチュー、くるみパン、赤ワイン。

Saturday, March 12

山手線の車内で読みさしだった高階秀爾『ルネッサンス夜話 近代の黎明に生きた人びと』(平凡社ライブラリー)を読了し、午前11時前に品川駅到着。少し早めの昼食のためにAUX BACCHANALESに向かう。オムレツ、ニース風サラダ、フレンチフライ、赤ワインを注文。2杯以上飲むならグラスよりキャラフのほうが得ですよと言われ、キャラフと即答したために昼間からどんどん飲むことに。AUX BACCHANALESが素晴らしいのは、周囲を見渡してもビールだワインだと飲んでいる人ばかりで、店の雰囲気が心地よい。昼間からみんながお酒を飲んでいる光景でいえば、たとえば赤羽あたりでも観測可能ではあろうが、そういうのじゃなくて。パリのカフェのように(AUX BACCHANALESはパリのカフェを模したものだが)、中途半端な時間に入ってもちゃんと食事ができてお酒も飲めるという店は、ありそうで意外とない。

品川駅を西口から東口に移動し、キャノンギャラリーSで本城直季写真展「東京」を鑑賞。品川勤務で会社帰りとかならともかく、原美術館くらいしか何かと抱き合わせるものがないので、なかなか不便な場所にあるキャノンギャラリーSだが、この展示は行ってよかった。ミニチュア風でおなじみの本城直季の写真は、実際に大判のプリントで見るとミニチュア風ではない。

上野の森美術館で「VOCA展」を見る。今年の出品作品の中では、今美佐子、尾﨑森平、村上友重が印象に残る。VOCA展の愉しみの半分は高階秀爾と酒井忠康の選評を読むことだったので、このふたりが選考委員から抜けてしまって寂しいかぎりだが、しかしそもそも、例年会場のソファに置いてある図録を今年はなぜか係員が手に持っており、図録を買う以外の方法で選評をじっくり読む機会が失われてしまった。図録を買う気はない。ところで、自閉症の全裸の弟を撮影した作品に「性的な表現が含まれています」との警告文が立てかけられていたのだが、しかしこの作品を「性的な表現」と解釈する感覚はいささか理解不能で、とってつけたような逃げの口上のように響いた。作品理解の助けのためにと作家本人による作品成立の経緯を説明した長文もあわせて掲載されているのだが、作家自身による説明が許されるのであれば本作だけを特権的に扱いのはおかしいのでは。作家に罪はないが、予想される批判に対してあらかじめ予防線を張っておこうとする主催者側のリスク回避のように思えてならない。

朝食、目玉焼き、小松菜、バゲット、野菜とチキンのデミグラスソースシチュー、珈琲。昼食、AUX BACCHANALES 高輪にて。夕食、砂肝とあさりのアヒージョ、タコと人参とグリーンリーフのサラダ、バゲット、麦酒。

Sunday, March 13

読書、図書館、料理の一日。読んだ本は石岡良治『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)と五味文彦『シリーズ日本中世史① 中世社会のはじまり』(岩波新書)。

朝食、パンケーキ、珈琲。昼食、わかめごはんのおにぎり、大根と小松菜の味噌汁、卵と玉葱の炒めもの、蛸とわさび、蓮根と人参としめじの甘酢炒め、きゅうり、いんげん、緑茶。夕食、牛肉のステーキ、いんげん、蛸とグリーンリーフとかいわれのサラダ、トマトと小松菜とマッシュルームのスープ、赤ワイン。