ベストセラーからだいぶ遠く離れて

「ながらく放置していたコンテンツを再生させようということで、本の年間ベストセラーを話の種にする対談をやります」
「なんと2011年12月以来です。ベストセラーから遠く離れてシリーズ」
「ベストセラーからじゃなくて、更新作業から遠く離れてた」
「不徳の致すところです」
「今日(2015年12月27日)の日経新聞が、今年の出版物を回顧する特集を組んでいたので、切り抜いて持ってきた」
「天王洲アイルにあるここT.Y. Harbor [1]で、新聞記事の切り抜きをテーブルに出して喋るっていうのは場違い感満載ですけどね」
「場違い上等。日経なんで、エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10っていうのがあって、岩井克人の『経済学の宇宙』(前田裕之/聞き手、日本経済新聞出版社)が大差をつけて1位だったそうで」
「読んでましたよね、この本。すごくおもしろいって言って [2]
「とてもおもしろい本です。岩井克人の自伝ですけどね。岩井克人の自伝にどれほどの需要があるんだかわからないけど」
「経済について難しいことはわからないんですが、そんなわたしにも読めるかな?」
「もちろん経済学の理論的な話がメインだけど、岩井克人が経済学の主流から段々と外れていった自伝的部分を楽しめばよいのでは。経済学についてまったく関心のない人が読んでもしょうがないと思うけど、経済学について知らなくてもある程度の部分は読めると思います。なんなら、水村美苗とのエピソードを重点的に読めばいいんです」
「じゃあ、私が水村美苗の役になればいいってことですね!」
「はあ?」
「あなたが岩井さんの役で」
「よく意味がわかりませんが、岩井克人の役をやるにはまず黒ぶちの眼鏡を買ってくるところからはじめなくちゃいけない」
「かたちから入る」
「そしてかたちから出る」
「あっ、新聞が……!(新聞がテーブルのキャンドルに接近) 日経新聞をキャンドルで燃やさないでください。前代未聞ですよ、T.Y. Harborで新聞を燃やすデュオ」
「炎上商法ですね。新聞を燃やして明日の新聞に出かねない」
「出たくないです」
「日経には日販調べの年間ベストセラーも載ってるんだけど、何か興味のある本はありますか? あるわけないんだけど」
「まあないんですけど、『フランス人は10着しか服を持たない』(大和書房)って2位なんですね。この本出たの今年でしたっけ?」
「2014年ですね。6位の『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)も2012年刊行で、今年の本じゃないね。ベストセラーの世界も澱んでるんですかね?」
「新しい本が出てこないってこと? でも今年はやっぱり1位の又吉『火花』(文藝春秋)じゃないでしょうか」
「じゃないでしょうか、とわかったように言ってますけど、われわれはいまだに又吉の読み方を把握していないという」
「またよし? またきちでしたっけ?」
「一向におぼえられない。またきちじゃないですか? 車だん吉は「きち」だし」
「(スマホで調べる……)「よし」でした」
「来年にはまた忘れて「またきち」と言ってしまう気がする」
「そのほかの本は……、14位の『新・戦争論』(文藝春秋)はちょっと読んでみたいです。池上彰と佐藤優の」
「池上彰と佐藤優って世間的にはどういう位置づけなんでしょうね。文藝春秋の女性誌『CREA』に見開きで連載しているコンビって認識でしょうか?」
「世間はそんなマニアックな認識の仕方はしないと思います。なんでも知っているコンビって感じですかね?」
「しかしベストセラーについては毎年言ってるような気もしますが、ここで挙がっているベストセラー本をぜんぶ買っている人って実在するんでしょうか? 宗教本はともかくとして、実用書とか小説とか、理屈としてはいるはずなんですよ。本棚にずらっとベストセラー本が並んでいる人が。しかしそういう人の存在を想像できない。「売れた」という事実は、良し悪しはともかく「大衆的」と近似値であるはずで、それは限りなく「普通」に近いはずなんですけど、「異常」だと思ってしまう。そんな人がいたら。ライター業で仕事として読んだ人なら想像可能だけど、ここに挙がっている本すべてに目をとおす読書家っていうのが想像できないんです」
「そもそも読書家とは呼ばれないですよね、そんな人は」
「そう。映画や音楽であれば、興行収入の高かった映画ばかり、ヒットチャートにならぶ音楽ばかりを見る人聴く人って想像できるんだけど。そのての人を映画好き、音楽好きと呼べるかどうかに異論はあるかもしれないけど、でも呼んでもいいと思うんですよ。でも本の場合はあきらかにちがう」
「本好きではないですよね」
「前にも言ったことあるけど、強いて言うなら「物好き」ですよ」
「そもそも世の中で本は読まれてるんでしょうかね?」
「出版界隈はそのネタ好きだよね。本が読まれなくなった/いや読まれている論争」
「雑誌の売り上げの不振は特に言われてますが」
「日経にも雑誌販売の落ち込みが大きく市場の縮小傾向は変わらないって書いてあるけどね。本が読まれているのか、読まれていないのか、切り口によってどちらも正解だと思います」
「でも電車の中で本を読んでいる人は明らかに減った気がします」
「みんなスマホ見てますからね。ゲームか、SNSか、2ちゃんか」
「2ちゃんまだ旺盛ですか」
「混み合った電車で、ちらっと目に入るのが2ちゃんのあの画面っていうのは結構ありますね。ニュースを見ている人も多いんじゃないかな。スマホなりタブレットなりで本を読んでいる人はあんまりいないように思うけど」
「最近電子書籍の話題はあまり聞かないですね」
「まあそういう話をすると、電子書籍否定派はほら見たことかと言い出すし、肯定派はいやまだその見方はおかしいと言い出すので、これもまた切り口の問題でしょうね」
「そうですね」
「ま、どっちでもいいんじゃないですか」
「投げやりだ。ではお互いに選んだ本をそろそろ。ベストセラーにランクインしている本は一冊もないでしょうけど」
「今年読んだなかでは、シェイクスピアがおもしろかったですね」
「古すぎる!」
「シェイクスピアはベストセラーですよ、ある意味。ずっと売れてるし。絶版にならないし」
「確かにそうですが」
「古典はいいですよ。いまプラトンも読み出したんですが、いいですよプラトン」
「さらに古くなった! では今年は古典の素晴らしさがわかった年、ということですかね」
「前からわかってるよ」
「わたしはここ数年に較べて、今年は本が読めてよかったです。ずっと長いあいだとにかく目が痛くて、パソコンのモニタやスマホ画面を見るのはもちろん、紙のページを追うのも辛くて。そんな折、かかりつけの眼科に目薬をすすめられたんですよね」
「あのオノ・ヨーコにそっくりだという医者ですね」
「で、オノ・ヨーコがすすめてくれたソフトサンティアって目薬がとてもよかったんです」
「オノ・ヨーコじゃなくて、オノ・ヨーコに似た人ね」
「これ特別な薬でもなんでもなく、普通に薬局で買える目薬です。現美で展覧会やってる暇があるなら、早く教えてくれよって感じですが」
「だからオノ・ヨーコじゃなくて、オノ・ヨーコに似た人ね」
「それでは、一応お互いのベスト10を発表しておきましょう」
「こちらは以下の通りです」

・ ハリ・クンズル『民のいない神』(木原善彦/訳、白水社)
・ 最相葉月『れるられる』(岩波書店)
・ 畠山直哉『陸前高田 2011-2014』(河出書房新社)
・ 近藤聡乃『ニューヨークで考え中』(亜紀書房)
・ 青木淳悟『匿名芸術家』(講談社)
・ 小熊英二『生きて帰ってきた男 ある日本兵の戦争と戦後』(岩波書店)
・ 岩井克人『経済学の宇宙』(前田裕之/聞き手、日本経済新聞出版社)
・ 中井久夫『戦争と平和 ある観察』(人文書院)
・ リディア・デイヴィス『サミュエル・ジョンソンが怒っている』(岸本佐知子/訳、作品社)
・ 大沼保昭『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』(江川紹子/聞き手、中央公論新社)

「いちおうすべて2015年刊行のものから選びました。もっとも、ここに挙げた本よりも、シェイクスピアやプラトンのほうがすごいですけどね」
「それはそうでしょうけど」
「ここに挙げている著者の誰もが、じぶんの本はシェイクスピアより優れているとはたぶん言わないですね。言ったら頭のおかしい人だと思われる」
「挙げている本の中で小説は・・・・・・、3冊ですか」
「『民のいない神』『匿名芸術家』『サミュエル・ジョンソンが怒っている』は、小説に特段関心のない人間が読んでおもしろかったものですから、おもしろいんじゃないかと思います。文学的な評価は知りませんが。文学に興味ないんで」
「文学に興味ないって、いつも言ってますよね」
「いまは文学より、つぎに注文するビールのほうに興味があります」
「ほえ。こちらのベスト10を」

・ ブルース・チャトウィン『黒ヶ丘の上で』(栩木伸明/訳、みすず書房)
・ ジョン・ウィリアムズ『ストーナー』(東江一紀/訳、作品社)
・ イスクラ『共産主婦―東側諸国のレトロ家庭用品と女性たちの一日』(社会評論社)
・ ロジャー・パルバース×四方田犬彦『こんにちは、ユダヤ人です』(河出書房新社)
・ 山崎佳代子『ベオグラード日誌』(書肆山田)
・ 近藤聡乃『ニューヨークで考え中』(亜紀書房)
・ 伊地智啓『映画の荒野を走れ──プロデューサー始末半世紀』(上野昂志・木村建哉/編、インスクリプト)
・ 山田稔『天野さんの傘』(編集工房ノア)
・ 江國香織『抱擁、あるいはライスには塩を』(集英社)
・ 四方田犬彦『李香蘭と原節子』(岩波書店)

わたしが今年読んで印象に残った本の中で、ベストセラーという場所にいちばん近いところで言うと、江國香織の『抱擁、あるいはライスに塩を』ですね。江國香織はもともと読まず嫌いで、十代の頃はまったく手がのびなかったのですが、エッセイがいいよと勧められて読み始めてからは好きになりました」
「だいたい揃ってますよね、江國香織の本。江國香織って何であんなに売れてるのかわかんないって言ってましたよね?」
「普通に考えて、売れるわけないんですよ江國香織の世界って。なんで売れてるんだろう? あと、11月25日に原節子の訃報が流れてから、原節子と小津安二郎関連本一辺倒になりました。小津と原節子から興味が失せることは一生ないだろうと思っていたから、いずれ読もうと思って読んでなかった本がたくさんあって。なかでも四方田さんの『李紅蘭と原節子』は面白かった」
「なんでも書いてるね四方田犬彦は」
「余談ですが、四方田さんは、通っていた御茶ノ水の駿台予備校で奥井潔という英語教師の出会って影響を受け、そのことを『ハイスクール1968』で書いています [3] 。この奥井先生、わたしも駿台予備校で習ったんですよ。このことを知った時はちょっと嬉しかったですね」
「おお! なんてどうでもいい情報!」
「失礼な!」
「チャトウィンも入ってますね」
「わたしは刊行年は関係なく、読んでおもしろかった本を挙げました」
「いつ出た本とかあまり関係ないですよね」
「本はそれが顕著だと思います。映画や音楽っていうのはいつ出た、という意味合いが本に比べて強い気がして」
「みすずの読書アンケートで挙げられている本だって、当該の年に出た本のほうがむしろ少ないんじゃないの? 2015年に出た? だからどうしたって感じですね」
「この企画を根本的に否定してますね」
「ベストセラー側だって『置かれた場所で咲きなさい』みたいに2012年の本があるんだからいいんですよ」
「なにがいいんだかよくわかりませんが。あ、そういえば、今年はお互いに、古本屋で探していた本が見つかったのが収穫でしたね」
「長尾龍一『リヴァイアサン』(講談社学術文庫)と吉田健一『ヨオロッパの世紀末』(岩波文庫)」
「わたしは伊井直行『三月生まれ』(講談社)」
「アマゾンの中古で簡単に買えますけどね。全部」
「でもそれだとなんだかつまんない気がして、古本屋を訪れるたびに探してました。でも古本の法則って、“一度めぐりあったら次々とめぐりあう”ではないですか? 以前、澁澤龍彦の『フローラ逍遥』の、中島かほるが装幀を手がけた単行本のほうを探していたのですが、本当になくて半ばあきらめていたら、古書ドリスで見つけたんですよね。そしたらその後、立て続けにあちこちの古本屋で見かけて。あの焦燥と歓喜は何だったのか」
「『フローラ逍遥』もアマゾンで買えますね」
「人の情感を台無しにしますねアマゾンは」
「ではそろそろまとめを」
「いい目薬にめぐりあえてよかったです」

2015年12月27日 天王洲アイル T.Y. Harborにて (文責:capriciu)
  1. 公式サイトによると“醸造所を併設したブルワリーレストラン”。オープンな雰囲気の飲食店を好む人々に大人気。首都圏のウォーターフロント開発の一環ということで、なんとなくバブルの残り香を感じさせ、感慨を生んでいる。東京のウォーターフロントについては、個人的に、今後深掘りしていきたい項目のひとつ。 []
  2. 本と余談 232 []
  3. 「わたしがただ一人共感を覚えたのは、奥井潔という年配の英語教師だった。彼は規定のノルマを外れて『万葉集』の歌をいくつも暗唱してみせたかと思うと、ハンス・カロッサは今ではトーマス・マンほどに読まれてはいないが、やはり天才であると唐突に口にしたりした。彼は教材としてモームの自伝『要約すると』の一部と、グレアム・グリーンの『無邪気』という短編を採用していた。(中略)きみたち、人間にとって一番大切なことは幼年期の無垢を喪わないことだよ、と熱弁を振るう奥井潔には、旧制高校の教師とはかくやと想像させるような、独特の雰囲気があり、それが彼を他の効率一点主義の教師たちから隔てていた。」(四方田犬彦『ハイスクール1968』新潮文庫、pp.312-314) []